夢よもう一度
ベスト10への返り咲きも目前。「十題話『君の左の薬指まで』」もいよいよクライマックスですんで、皆様の引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。
君の左の薬指まで③
「瞳ちゃんて、野球とかは興味ないの?」
深川は僕に訊ねた。
「いや、結構好きなはずだよ。横浜ファンで、鈴木尚典が好きだって言ってなかったかな」
僕はメモ用紙にボールペンで試し書きをしながら答えた。
「言ってなかったかな、ってお前、彼女の好きな野球選手ぐらい自信もって答えろよ」
「仕方ないじゃないか、俺は野球なんて興味ないんだもの。正直、鈴木尚典ってどんな選手かもよく知らないし」
電話の向こうで軽くため息をつきながら、深川が続けた。
「まぁいいや、野球好きで横浜ファンなら好都合だ。じゃあ野球の試合に誘えよ。で、一緒に大観衆の中でスペクテーター・スポーツを観たら、きっと距離も縮まるしテンションも上がるだろ」
「うん、それで?」。僕は姿勢を正した。
「で、試合が始まる前に言っておくんだよ、『今日、ベイスターズが勝ったら、渡したいものがあるんだ』って。で、横浜が勝ったら指輪を渡してプロポーズしちゃえ。まさか指輪のサイズも知らないなんて言わないよな?」
「ええー!?」。思わず悲鳴を上げた。
「そんなことしなきゃいけないの? そんな恥ずかしいことできないよ。柄にもない。だいたい横浜が負けたらどうするのさ」
「そんなことしなきゃいけない。恥ずかしいと思うなら一生独身だ。柄にもないこともできなくて結婚できるか。横浜が負けたら自分で何とかしろ」。一つ一つに深川は反駁した。
「あのな、恥ずかしいっていうけど『僕ハ、アナタガ好キデス。結婚シテ下サイ』なんて散文的でつまらない言葉で伝わるか? 相手にとっても人生の一大事なんだぞ。そこで多少恥ずかしくても、臭いくらいの演出もできなくてどうするんだよ。茶太はそんなときに知恵も絞れない、誠意も見せられない男なのか、って瞳ちゃんは思うぞ。自分が大事にされてない、って感じちゃうぞ」
「でも……」
「あと、横浜が勝つか勝たないかってのはきっかけにすぎないんだよ。逆説的だけど、それだけの人生の一大事に踏ん切りをつけるのなんて、ちょっとしたきっかけだろ。結婚したいって気持ちが自分の中で固まってるんなら、それを切り出すきっかけをベイスターズに預けてみろ。お前の人生を横浜に賭けてみろ」
僕は何も言えなかった。
「それとな、仮に横浜が負ける、っていう予定外の事態に直面したときに、自分の知恵と腕で状況の打破もできないような奴が、これから一生彼女の人生を背負えるのか? 自分で自分を試す状況に直面しろ。横浜が勝つかどうかが運試しなら、負けた時にどうするかは肝試しだよ、お前の度量を試すためのな」
深川は、神託を下すように言った。僕は黙って聴くだけだった。
「うん…、わかった。やってみるよ」
「横浜ならお前の地元なんだから、こ洒落たレストランぐらいいくつか知ってるだろ? 横浜が勝ったら、試合の後そこで指輪を渡してプロポーズしちゃえ。それだけのことだ。大丈夫。お前ならできる。プロポーズなんて、お前が昔クリアした『たけしの挑戦状』よりは絶対簡単だから」
小学生の頃、僕はほぼ攻略本を見ずに「たけしの挑戦状」をクリアしたことがある。当時、僕の通っていた小学校ではかなり話題となり、校内で僕のことを知らない人がいないほどの騒ぎとなったが、そんなことを深川に言われるまで僕は忘れていた。
「それとこれとは絶対に違うような気がするけど、とりあえず、頑張ってみる。深川、本当にありがとう。そこまで深く考えて、野球を観に行け、って言ってくれたんだな」
「いや、違うよ」。深川はあっさりと言った。
「なんとなく喋ってるうちに、あぁ、野球観るのもいいなぁ、と思って思いつきで喋ってみたんだけど、我ながらそれなりの説得力だったな」
僕は絶句した。
「あ、それと、間違っても球場にイッテルビウムなんて持って行っちゃダメだからな」
「…イッテルビウム? なんだよそれ」
「いや、『YB』違い、ってことで。じゃ、またな。健闘を祈るぞ」
そういうと深川は一方的に電話を切った。
僕は受話器を握ったまましばらく動けなかった。立ち上がると、眩暈がした。(つづく)