不意打ち表参道

あれは、表参道ヒルズがオープンした年だから、2006年のことだった。そうか、もう11年も前の話なのか。当時、私はフリーランスで仕事をしており、あるクイズ番組の問題作成をお手伝いしていた。
その日は、表参道ヒルズがオープンする前日だから、2月10日のことだった。赤坂で、その番組の定例会議があり、それが終わった後、同じくその番組に参加しているリサーチャーの女性と私はカフェにいた。次週までの宿題の相談をしたり、とりとめのない話をしたりしていた。
どういう話の流れでそうなったかは覚えていないが、そのうち、その女性が「一斗くん、このあと予定ってある?」と聞いてきた。悲しいかな、そんなに売れっ子ではなかった私は時間があり余っていたので、そう答えると、彼女はこう言った。
「だったら、表参道ヒルズ、見に行ってみない?」
「でも、オープンって明日でしょ?」
「うん、知ってる。外から見るだけなんだけど。だめ?」
「いや、構わないけど。ああいうところ、興味あるんだ?」
彼女は決して野暮ったかったり、おしゃれでないという人ではなかったが、派手な浮ついているような人ではなかったし、そういう流行のスポットや、ハイブランドなどにはあまり興味があるようには見えなかった。だから、私はちょっと意外だった。
「ちょっと行ってみようかな、と思って。悪いけど付き合ってくれる?」
そんなわけで、私たちは千代田線に乗り、表参道で降りた。表参道ヒルズに着いては見たものの、当然のことながら中には入れない。外からちょっと建物を眺めて、それでおしまいである。何がしたくて彼女はここへ来たんだろう、と思っていたら
「ねえ、もう一つ付き合ってほしいところがあるんだけど」
言われるままに一緒に歩いていくと、彼女は「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」へとやってきた。言わずと知れた高級チョコレート店だ。そして、今日は2月10日。そこで私は、ようやくピンときた。
「そうか、表参道ヒルズは口実なんだ。彼女は私に、少し早いバレンタインデーのチョコレートをくれようとしているんだ」
次に番組の会議で会うのは2週間後だから、少しフライングだけど、今日渡してしまおうということなのだ。それならそうと、早く言ってくれればいいのに、回りくどいなぁ。とちょっとうきうきしながら彼女と一緒に店内に入った。
ちょっとやそっとの義理チョコではあげられないしもらえない代物があふれ返った店内では、多くの女性が真剣な顔でチョコレートを物色していた。ただ一人、私の隣にいる彼女を除いては。
「うわっ、何これ。高っ! 覚せい剤でも入ってるのかってくらいの値段だね」
「確かにおいしそうだけど、私は『キットカット』とかのほうが好きだなぁ」
いささか場違いな感想を、彼女はフランクに、割りに遠慮なく口にした。私のほうが、他の女性の視線を気にしてしまうほどだった。結局、彼女は何も買わずに店を出た。
本当に、何がしたくて彼女は私を付き合わせたんだろう。軽くがっかりしてとぼとぼ歩いていたら、彼女はまた立ち止まった。
「ここ、入っていい?」
そこは、新潟県のアンテナショップだった。「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」よりは個人的に興味があったので素直に入っていくと、ちょうど日本酒の即売会をやっていた。現金なもので、さっきまでがっかりしていたのも忘れて、いろいろな日本酒を眺めていると、彼女が聞いてきた。
「一斗くんて、ここに出てるお酒、ほとんど飲んだことあるの?」
「まさか。飲んだことないもののほうがずっと多いよ」
「ふーん。どれがおすすめ?」
私は、たぶん彼女が自分の父親にでも買っていくのだと思い、なんだったか忘れてしまったが、ある銘柄をひとつ挙げた。
「これはおいしかったと思う」
「そう。じゃあ、これにするね」
彼女はレジで会計を済ませると、私といっしょに店を出た。外はもう日が暮れていた。表参道の駅まで歩いていくと、彼女は原宿から帰るという。
「気を付けてね。いろいろな店に行けて楽しかったよ。ありがとう」と私が礼を言うと、彼女は私に、さっき買ったばかりの日本酒の瓶を手渡した。
「はい、これ」
「え、お父さんに買ったんじゃないの?」
「うち、誰もお酒飲まないもん。一斗くんに」
「ありがとう。でも、なんで?」
「だって一斗くん、チョコレートよりこっちのほうが好きでしょ?」
そういう不意打ちのバレンタインデーも、この年になるととんと縁がない。ちょっと懐かしい。彼女の消息は知らない。



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