ツァイガルニクの南天

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

山崎方代の歌集『こおろぎ』より。
山崎方代という歌人を私はあまりよく知らなかった。小説家の山川方夫*1と字面が似ているので、混同して「山川方夫って、歌も詠んでいたのか」と思ったぐらいの知識だった。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

先週、吐血して病院に運ばれた。大量飲酒によって嘔吐を繰り返した結果、噴門あたりが裂けて血が出たのだ。
吐血する直前に、ごぼごぼと酒を飲みながら読んでいたのが、この歌だった。
大量の飲酒がもたらす「結果」というのは、たいていの場合、誰でもわりと似通っている。しかし、大量の飲酒を引き起こす「理由」は、人によって多少は違うのかもしれない。
そして、私の場合の「理由」は。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

彼の60代のときの歌だという。60代には、まだなってみたことがないのでわからないが、それぐらいの年代になってふり返ってみる、「本当の恋」とはどのようなものなのだろう。
人は一般に、完成・成就したものごとよりも、未完成・中断したものごとのほうが、強く、長く印象に残るといわれている。それを示した心理学者の名前から、「ツァイガルニク効果」と呼ばれる現象である。実感として、心当たりはないだろうか。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

だからきっと、この「一度だけ」あったという「本当の恋」は、様々な理由があって実らなかったものだったのだと思う。ぷつんと中断して、宙ぶらりんになったままなのか。あるいは、恋して焦がれて、全力で恋しきった結果、実らなかったのか。それは、当事者たちにしかわからない。そして、やさしく穏やかだが、「どんな恋だったんですか?」という問いの余地を与えない、きっぱりとした下の句。それは、他人に語った段階で、「言葉で汚されてしまう」恋なのかもしれない。だから、「南天の実が知っております」とやわらかに突き放すのだ。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

詳しいことはよく知らないが、山崎方代は生涯独身を貫いたという。そのこととこの歌は、もしかしたらまるで関係ないかもしれない。でも、その事実を透かしてみると、この歌がいっそう、しんと染みわたってくるように感じる。



私にも本当の恋がありまして吐いた血のみが知っております。人気blogランキング

*1:『菊』という掌編がよかった。