なまえのはなし

私の本名はマサタカ(仮名)という。弟はカズタカ(仮名)である。兄弟の名前で韻を踏んだり意味を揃える、というのは割合よくある命名だ。中学の同級生には「ススム」「ワタル」「アユム」の三兄弟がいたし、友達の知り合いには「東」「早」「慶」という兄弟がいたそうである*1
私も弟も父親の命名なのだが、父は自分がつけた名前のくせに、非常にしばしば私達の名前を取り違える。弟からの、今度の日曜は実家に帰る、という電話を受けて私に「来週、マサタカ帰ってくるってよ」と言う、などはザラである。マサタカは私だというのに。まぁ、年だから仕方ないのかもしれないが、20人もの子沢山というわけでもあるまいし、まして自分でつけた名前である。どうかと思う。
ところが納得のいかないことに、山が大好きで若い頃は登山が趣味だった父*2は、TVや写真で山の映像が出てくると、大抵の山は「あれは甲斐駒ケ岳だ」とか「谷川岳だ」などと言い当てる。自分でつけた訳でもない多数の山の区別がつき、自分で名づけたたった2人の子供でそれができないとはどういう了見なのか。ということを以前父に質したら、「山はそれぞれが違った山だが、俺にとってはマサタカもカズタカも同じ『息子』というくくりだからだ」と言いたれた。私があと十数歳若かったら、鉄アレイと草津行きの切符を買って寝込みを待っていたかもしれない。ふざけた話である。山なんてただの岩くれじゃねぇか。
ところで、私の彼女はアスカ(仮名)という。弟の当代彼女はシズカ(仮名)である(ついでに先代彼女はハルカ(仮名)だ)。もうこの時点で父には絶対に区別は不可能だが、もし私も弟も無事いまの相手と結婚することになり子供が生まれたら、共謀して「トシユキ」と「ヒデユキ」、みたいな名前にしてやろうと思う。そして、息子も嫁も孫も、言い間違えたら絶対に返事をしてやらないことにする。こういうところで甘やかしていると、絶対にボケてしまうからである。まだまだ、そうなってもらっては困るのだ。


いっそ「1号」「2号」と呼んでくれ。人気blogランキング

*1:これで「東」が早稲田、「早」が慶應、「慶」が東大に入ったらややこしくて面白いのに。

*2:私の本名をご存知の方はお分かりだろうが、私は山にちなんだ名前である。