スパゲッティーの年に

家の近所に、小ぢんまりとしたトラットリアがあった。入りやすいけれど、ちょっとこじゃれていて、ピッツァ(気恥ずかしい言い方だけれど、あれは「ピザ」と呼ばれるそれじゃなくて、ちゃんとした「ピッツァ」だった)がおいしい店だった。だから、ときどき行っていた。
しかし先日、その店が突然、閉店していた。毎日とまではいかないが、頻繁にその店の前は通っているので、もし「◯月◯日で閉店します」的な張り紙が出ていたら気が付いたはずだし、閉まるんだったら最後に食べに行こうと思ったはずだから、本当に予告なしの閉店だった。
「当店は、◯月◯日で閉店いたしました。2年間のご愛顧ありがとうございました。なお、2月下旬からはパスタ専門店としてリニューアルします」
そんな張り紙が、ひっそりと、閉じたシャッターに貼られていた。
あまりに唐突な印象がしたので、ちょっとGoogleなどで検索してみたら、店長のものと思われるブログが見つかった。そのブログの閉店についてのエントリには、こんな記述があった。
「◯月◯日をもって閉店いたしました。突然の、そして事後のご報告で本当に申し訳ありません。事前にお知らせしなかったのは、してしまうと、自分の決心がぶれてしまいそうだったからです」
どう見ても、前向きに閉店、そしてパスタ専門店への転身を決めた人の書くことではなかった。そして、店長(と思われる人)を個人的に知るとおぼしき人のコメントと、それへの返信も気になった。
「お疲れさん。なんだか、いろいろ察したわ」
「ありがとう。うん、察して」
何があったかは知らないし、推測することもできないが、私が気に入っていたトラットリアが、何らかの事情で閉店せざるを、そして業態を変えざるを得なかったことだけはわかった。
数日後、店の前を通ったら、その店は、店名はそのままに、ロメスパの専門店としてオープンする旨の告知と、出される予定のメニューが貼ってあった。
むろんロメスパはロメスパでおいしいし、私も好きだが、もともとのトラットリアとはずいぶん隔たりのある転身だ。ちらっと、前に読んだブログのエントリが頭をよぎった。
メニューには「なつかしのナポリタン」「デカ盛りも可能」「トッピング イシイのハンバーグ150円」などの文字が書いてあった。なんだか、少しやりきれない思いになった。店名が変わらぬまま、というのも、やりきれなさに拍車をかけた。
先日、リニューアルオープンしたその店に初めて行ってみた。入るときや、頼むときに、なぜだか少しどきどきした。注文したのはデカ盛りのナポリタン。あらかじめ茹で上げてあるスパゲッティは、うどんのように太くて、真っ赤だった。以前のトラットリアだったら、決して出すことのなかったようなパスタだ。
ひと口食べてみた。おいしい。懐かしい、とか、珍しい、というのではない味がした。あえていうなら、「やさしい」味がした。アルデンテのカペッリーニもスパゲッティなら、太くてデカ盛りのナポリタンもスパゲッティだ。どちらが上で下、ということはない。私はどっちも好きだ。でも、確かに後者のほうが、私には「やさしい味」に感じられた。
いつかまた、かつてのようなトラットリアをどこかで開けるようになるのか。それとも、このままロメスパ専門店として続けていくのか。それはわからないけれど。
でも、私はまた、ときどき「やさしい」スパゲッティを食べに行きたいと思う。




あきらめた夢のひとつもあるほうが誰かに優しくなれる気がする (柳澤真実)。人気blogランキング