母校のこと

先日、とりたてて用事はなかったが、自分の卒業した高校まで行ってきた。母校に来るのは、たぶん8年ぶりぐらいのことだ。
人間だって、8年も会わないでいれば、最後に会ったときと比べて様子や事情などがけっこう変わる。学校だってそうだ。
8年前と大きく変わった点が二つある。一つは、校舎が全面リニューアルされ、大変立派になっていたことだ。
シンボルだった、高く白い時計塔は、(かつてのものとほぼ違わぬものとはいえ)新しく建て替えられていた。門を入ってすぐのところにあった噴水は跡形もなく、合格発表の日に私が自分の受験番号を見つけた掲示板が立てられていた事務棟も、立派な建物に生まれ変わっていた。中には食堂とホールと図書館がある由。建物の中にまでは入らなかったが、窓からうかがえる図書館の様子は、蔵書も多くて、明るく、利用しやすいものに見えた。学校でトイレに行かない日はあっても、食堂と図書館に行かない日はない高校時代を私は送っていた。当時の図書館は、開架式ではあるものの、かび臭くて薄暗く窓もない、倉庫みたいなところに書架があり、決して利用しやすいとはいえなかった。だから、図書館で私以外の生徒を見かけることはあまりなかったが、そこで私は本を読み耽ったものだった。
食堂も、私の頃とは違ってきれいで、おいしく栄養のバランスが取れたメニューがあるのだろう。揚げ餃子を卵でとじて、それを丼めしの上にぶちまけた「ギョーザ丼」(略して「ギョー丼」)や、メンチカツの上にミートソースがかかっているという無国籍感満点なのに、なぜか「メキシカンランチ」と名付けられていた不思議メニューなど間違ってもないはずだ。なぜならその食堂は、私の頃とは違って、女子生徒も利用するからだ。
もう一つの大きく変わった点は、共学になっていたことである*1。一昨年度から、付属中学ともども男子校から共学となり、その効果や、鉄道事情の変化によるアクセス向上、最寄り駅の再開発などにより、近年ではちょっとした人気校らしい。偏差値も、私が入った頃に比べればけっこう上昇しているのだという。
母校の発展は喜ばしいことだ。少子化で、私立も公立も生き残りをかけてしのぎを削る中、清潔で快適で新しい、行き届いた設備で学べる環境は、生徒にとっても学校にとっても大きなアドバンテージだろう。
ただ。
こんな立派で隙のない学校に、かつての私みたいな、勉強もスポーツも大してできず、女の子とも縁がなくて、読書とクイズぐらいしかやることのなかったような、さえない生徒の居場所はあるのだろうか。それがちょっとだけ気がかりだった。それとも、そんなしょーもない生徒は、人気校になった今はいないのだろうか。リア充ばっかりなのだろうか。
公立に毛が生えたような、クソぼろくて小汚くて男臭い学園で、友達もろくにおらず、でも女子もいない環境だったから、クラスメイトにいじられ、からかわれつつも排斥はされず、細々とクラスの中に生息して、ひたすら読書をし、早く大学に行きたいとひたすら願っていた当時の私のことを思った。いま、あいつがこの学校の生徒だったら。明るくて蔵書の多い図書館を喜んだだろうか。小ぎれいでおいしい学食を楽しんだだろうか。
真新しい芝のグラウンドで、女子生徒が体育の授業をしていた。移転されたわけでないとはいえ、私が通った学園は、なくなってしまったのだと思った。どこに行っても、あの学校はもうない。
一度でいいから、隣に女の子を連れて歩いてみたいと願いながら、毎日一人ぼっちで通った通学路を、私は駅へと戻っていった。



まぁ、廃校とか統廃合されるよりはましなのだろうけど。人気blogランキング