28歳の夏休み⑦

山陰本線は、出雲市から先は単線になる。車窓を流れる景色も、いきなり寂しくなっていく。とてつもなく遠い、寂れた街に来てしまった、と思った。神戸川が流れている。小さな川だ。
この景色を、彼女は見ていた。この景色が、彼女の目に焼きついていた。それと同じものを見るために、僕はここに来た。出雲大社でも、そばでも、たたら製鉄でもなく。
彼女が育った街、彼女が歩いた道、彼女が受け止めた風。それがここにはある。いや、ここにしかない。
僕の鞄の中にあるメモには、彼女が通った小学校、中学校、高校の名前と所在地が書かれている。彼女が異動してきたときに前の事業所から送られてきた履歴書に書かれていたものを、僕は覚えていた。そして、彼女の実家のある場所も、地名までは覚えていたのだ。人事の仕事とはそういうものなのである。
電車は西出雲に停まった。彼女と同い年ぐらいの女性が、子供を連れて乗ってきた。もしかしたら、彼女につながる誰かなのかもしれない。そして、彼女ももしかしたら、今どこかで自分の子供を抱いているのかもしれない。しかし、僕と彼女と、子連れの女を結びつけるものは何もない。かくも人は、ばらばらに、離れ離れになってしまうのだ。
ずいぶん昔、高校生の頃に読んだ本に、ショーペンハウアーの言葉が引かれていた。
「運命がカードを切り、我々がそれで勝負する」
そうであるとしたら、僕達を左右する運命という奴は、ずいぶんと力まかせなディーラーなのだろう。僕達は、絶え間なく訪れる出会いと別れの中に翻弄されている。離れたくない人であっても、次の瞬間には違うカードが弾き飛ばされてくる。マシンガン・シャッフルだ。僕達はそれで勝負するしかない。運命のディーラーは、冷徹で、そして気まぐれだ。
僕は訳もなく悲しくなった。乗ってきた子供も僕を哀れんでくれたのだろう、泣き出してむずかった。電車は間もなく、出雲神西に着く。



改札口を出ると、地図を広げた。駅から北へおよそ1㎞。そこに彼女が通った小学校がある。学校へと向かう途中には、駅からも望める神西湖という小さな湖がある。「せいぜい5㎞くらいしかなかったから、よく地元の中学や高校の野球部が一周ランニングしていたのよ」。彼女が昔、そんなことを言っていた。僕はまず、その湖へ行くために駅を出て西に歩いた。
初めて歩く街だった。当然だ。でも、甘やかで、それでいて痛く苦しいようなデジャヴを僕は感じていた。あの畑に、その電柱に、この道に、彼女が過ごした時間の記憶がまとわりついているのだ。僕は歩いた。
300mも歩くと、すぐに神西湖に着いた。なるほど、小さな湖だ。宍道湖という有名どころの陰に隠れてしまっている。わざわざ見に来る人もあまりいないだろう。湖畔にはアシやガマが茂っている。僕は因幡の白兎を思い出した。そうだ、僕は出雲に来ていたのだった。
「学校から湖まで、子供の足で歩いても10分ぐらいなのね。だから遠足に行ったの、小学校1年の頃。で、男の子が湖面に石を投げて、石切りをして遊んでいたの。あれって、平らで薄っぺらい石のほうがよく飛ぶじゃない? だから、そのとき好きだったヒデキくんていう男の子に、よく飛びそうな石を探してあげていたの。いいのないかなぁ、って。そうしたら、すごくいいのが見つかったんだけど、それ、磨製石器だったらしいのね。私にとってはただの平べったい石だったのに。で、先生が騒いじゃって『よく見つけました』ってなっちゃって。おかげで私、しばらく『マイ』って名前と磨製石器をくっつけて『マイセイセッキ』って呼ばれる羽目になっちゃったの。ヒデキくんにもそう呼ばれて、ちょっとイヤだったなぁ」
いつか、彼女が僕に語った話だ。僕と彼女は、いくつもの会話で、いくつもの「ことば」でつなぎとめられていた。それが解かれてしまった今、彼女についての記憶を辿るには、彼女のいくつもの「ことば」を紡ぎなおしていくしか、僕には術がなかった。
確か、その磨製石器は彼女の小学校の玄関に飾られることになったはずだ。さすがに、今はもう飾られていないのかもしれない。それを確かめるために、僕は湖から北へ向かって歩き出した。湖を渡る風が、僕に何かを語りかけた気がしたが、うまく聞き取ることはできなかった。小学生が、湖面に向かっていくつも石を投げ込んでいた。


次回に続く。人気blogランキング