教訓のない話

先日、京急に乗るべく品川駅で券売機の前に立って切符を買おうとしていたら、券売機の近くにいた、どう見てもホームレ路上生活者のおじさんが話しかけてきた。
「あのー、すいません。ちょっとJRで渋谷まで行きたいんですけど…」。身なりで人を判断するのもアレだが、まぁまず普段、ちゃんと電車に乗っているような人には見えない。
「はぁ…(それが何か?)」
「で、ちょっとお金足りないんで、200円でいいんで貸してもらえませんか?」
ちなみにJRを使用した場合の品川−渋谷間の運賃は160円である。また、「貸して」といったが、このおじさんに返す当てと意志、及び機会もないことは明らかだ*1
うわぁ、厄介なのが来てしまったなぁ、と思った。だいたい、もっと貸してくれそうな穏やかな人が周りにいるんだから*2そういう人に頼めばいいのに(そういえば私はよく、見知らぬ人に道を尋ねられる)。こういうときにキゼンと断れればよかったのだが、「すいません、私もお金ないんですよ」ではあまりにも説得力がないし、他に何て言って断ればいいのか咄嗟にわからなかった。無下に断って逆上され、剣呑な事態になってもことである。何が起こるかわからない世の中じゃないですか。
そんなわけで払ってしまいました、200円。にひゃくえん。ニヒャクエン。two hundred Japanese yen。内心「ほら、ね? これあげるから、おとなしくあっち行って。シッシッ」という気分だった。あぁ、200円あれば何ができただろう。「フリスク」ぐらいは買えたかもしれない。
そんなわけで釈然としない気持ちで京急に揺られたのだが、もしかしたらあのおじさんは世を忍ぶ仮の姿で、本当は某大企業の会長か、さる旧華族の当主か何かで、後日私のところに立派な格好で現れて「いやぁ、君は若いのになかなか見所のある青年だ。『人情、紙の如し』のこのご時世に、あんな振る舞いは誰にでも出来ることではない。君ならきっと私の娘を安心して任せられ、嫁にやれるだろう。どうかね、娘と会ってみてはくれないだろうか? 頼む」とかいう話になり、200円を払っちゃった成り行きと同じく何となく断り切れずに、言われるまま赤坂プリンスホテルかなんかに出向いちゃったら、待っていたのは年のころなら24〜25歳の原史奈にクリソツの振袖の美人で「うっわー、えらいべっぴんさんだなぁ」と思っていたら向こうも「父の我儘の道楽に付き合わされて、さぞご迷惑をされたでしょうね。申し訳ありません。でも、父から話は承っております。一斗さんは心根のお優しい方なのですね。私、そういう優しい男性についていきとう存じます」という展開が待ち受け、「どうするのよ、どうするのよ俺ー!」とライフカードオダギリジョーみたいなことを言っているうちに気が付いたら2人は華燭の典を挙げて…いるはずもなく、電車が横浜に着いていた。我ながらベタな、昭和の妄想だったがいい暇つぶしにはなった。そうとでも思わなきゃ200円のモトは取れない。
夜、父にそのことを話したら「そういうときは『交番なら当座の交通費を貸してくれますから、一緒に行きましょう』って言って交番に連れて行こうとすればいいんだよ。間違いなく逃げるから」という。ほほーぅ、なるへそ。さすが年の功、と思ったら父も若い頃に一度、その手の寸借サギに引っかかったことがあったのだという。「俺の場合は真冬の寒い夜でさ、見るからに幸薄そうな夫婦だったんだよ。それはいいとして、眠そうでいかにも疲れきった顔をした小さな子も2人連れてやがってさ。怪しいな、と思ったけど、子供もいたから断っちゃ寝覚めが悪いだろう」。というわけで五反田から上野までの電車代をせしめられてしまったのだそうだ。父子揃ってマヌケである。
ちなみに父に「もしかしたらその家族が世を忍ぶ仮の大富豪かなんかでさ…」と振ったら「そんな下らない妄想をするアホがいまの日本にいるとは思えない」と一笑に附されてしまった。



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*1:それとも翌日から品川に日参して「まだ返してもらえませんか? こっちも困ってるんですよ」と督促するという手もあったか。いや、ない(反語)。

*2:私を直接ご存知の方はおわかりかもしれないが、ガタイがよくてゴツいので、どうみてもフレンドリーには見えない外見を私はしている。