地名の記憶

埼玉県に、鳩ヶ谷市という市がある。川口市と東京の足立区に隣接する、人口58,000人ほど、面積は蕨市に次いで日本で2番目に狭いという、小さな市だ。
そんな小さな市であったためか、埼玉高速鉄道開通に伴い鳩ヶ谷駅南鳩ヶ谷駅が開業するまで、当市には鉄道の駅がなかった。市民の方には申し訳ないが、いわば「陸の孤島」であった。
私は、鳩ヶ谷市には一度も行ったことがない。しかし、東京メトロ南北線との相互直通運転の電車に乗ったとき、路線図の中の「鳩ヶ谷」という駅名を見るたびに、私はある種の感慨を含んだ懐かしさをいつも感じるのだった。
もう20年以上前、私の家の近所にクミちゃんという同い年の女の子がいた。黒いおかっぱ頭で、少し前に飛び出した歯に愛敬のある子だった(そのせいか、未だに私は出っ歯気味の女性が好きである)。私はその子と仲がよく、私に生まれて初めてできた女の子の友達といってよかった。私とクミちゃんは通っていた幼稚園が違っていたため、そんなに頻繁に遊んだわけではなかったが、機会があれば2人で、あるいは私の弟とクミちゃんの妹の4人で、ままごと的な遊びなどをしていたものだった。
ところが、クミちゃんは小学校に上がる直前の春に、唐突に転居していってしまった。私がそのことを知らされたのは、クミちゃんが引っ越して行ったあとだったので、彼女にお別れをいうことも叶わなかった。
本当にクミちゃんが引っ越してしまったのか確かめたくなって、一人で彼女の家まで行ってみた。確かに表札は外され、人の気配はなく、玄関先にも彼女の自転車は置いていなかった。私は寂しくなって自分の家に帰った。
母親に「なんでクミちゃんは引っ越しちゃったの?」と私は訊ねた。私にも知らせずに引っ越してしまうなど、どことなく「訳あり」だったような予感は子供心にもしていたのだ。母親は答えた。「クミちゃんのお父さんとお母さんがリコンしちゃったの」。そのとき、小学校に上がる前だった私が「リコン」という言葉の意味を正しく理解できていたのかどうかは覚えていない。ただ、クミちゃんの身の上に何か悲しい出来事が起こったのだ、ということだけははっきりと理解した。
私はさらに母親に訊ねた。「クミちゃんはリコンして、どこに行っちゃったの?」。
母親は答えた。「ハトガヤってところ」。
子供の頃の私には、聞いたこともない地名だった。どこだかわからないその「ハトガヤ」という場所は、きっと私が住んでいる品川からはずっと、ずっと遠いところなんだろう、と私は思った。そして、もう自分は二度とクミちゃんには会えないのだろう、ということをぼんやりと予感した。そして、その予感は現実のものになった。彼女とはもう連絡がとうに取れなくなってしまい、いまどこに住んでいるのかもわからない。
だから、一度も行ったことはないけれど、鳩ヶ谷は私にとっては少しだけ物悲しく、そして懐かしい場所なのである。
そんな、子供の頃の強烈な喜怒哀楽の印象とともに記憶されている地名が、私にはいくつかある。大人になってしまったいまでも、たとえば電車がそこに停まるたび、車でそこを通り過ぎるたびに、私の中で懐かしさを含んだ楽しさや嬉しさ、悲しさが時おりふっと蘇り、渦巻くことがある。街の中で生きていくというのはそういうことなのだろう。
いまのところ、鳩ヶ谷に用事ができる予定はない。



新沼謙治が名誉市民らしいです(ウソ)。人気blogランキング