蛍(・納屋は焼かない)

もう15年ほど前、私が中学生だった頃の話。
私の家から車で10分ほど行ったところに、蛍が出る場所があった(というか今もある。当時よりはだいぶ少なくなったけど)。
何しろ、それなりの人口がある某政令指定都市とはいえ郊外で、片田舎なのだ。その蛍が出る一帯は雑木林に囲まれるように田んぼが広がって、その脇には小川が流れている。ぱっと見た人は、絶対にそこが某政令指定都市の市内だとは思えないだろう。このへんに家がある人はきっと毎日、「帰宅」というよりは「帰省」している気分なのではないか、と思う。夏になれば昼間は蝉の声が、夜は蛙の鳴き声が盛大にこだまして、やかましくも心地よいところだった。
で、ある夏の夜。そのあたりに家がある友達のツヨシくんが、うちの近くに蛍を観にこないか、と言い出した。私以外にも、クラスの女の子に2人ほど声をかけていたようで、2対2という形で行くことになった。
私は知っていた。実はツヨシくんは、その声をかけた2人のうちの一人、イクミちゃんのことが秘かに好きだったということを。「茶太、わかってるな。協力してくれよ」。その日の夕方、下校のときに私はツヨシくんにそう頼まれていた。
「協力してくれ」といわれても、そういう機微がまぁったく何にもわからなかった野暮な私は「うん」としか言えなかった。私にできることといったら、イクミちゃんじゃないほうの女の子(カナコちゃん)の後ろをぼけーっとついて歩き、なるべくツヨシくんとイクミちゃんが一緒にいる機会をなんとなくアシストすることぐらいだった。
そして、私は知っていた。実はイクミちゃんも、ツヨシくんのことが秘かに好きだったということを。もしかしたらイクミちゃんも、事前にこっそり、カナコちゃんに「わかってるでしょ、協力してよ」かなんか言っていたのかもしれない。とにかく私とカナコちゃんは、決してつまらなかったわけではないけれど、あまり口も利かずにただひたすら、蛍が出るスポットまで、ツヨシくんとイクミちゃんの後をついて歩いた。2人の思惑うず巻く「蛍デート」につき合わされていた。
何ともいいようがない気持ちだった。これで私もイクミちゃんのことが好きだったりなんかしたら、いろいろややこしいことになって面白かったのだろうが、別段そんなことはなかった。ただ、目の前で2人が何か楽しく、しかしちょっとウブによろしくやっている。でも、結局それは出来レースというか、「あーもー、お前ら好き同士なんだろ、勝手にやってろよ」なわけなんだけど、そんなことは当然言えなくて。で、こっちも色気づいてるお年頃なので、2人だけなんか甘酸っぱいことになってるのもちょっとばかし面白くない。とはいえカナコちゃんには興味がないし、向こうは多分それに輪をかけて私になんか興味がない。というわけで、要約すると「何やってんだ、俺?」な気分で、虫の音と蛙の鳴き声がする道を私はだらだらと歩いていたのだ。
かれこれ20分ほども歩いただろうか。
「着いたよ」
ツヨシくんが立ち止まったので、私達も立ち止まった。そこは、ほんのわずかに小高い丘から、一段くぼんだ地形になっている田んぼで、その周りに沿うように小さな川が流れていた。そしてその川の周りに、いくつもの蛍が、ふわふわと頼りなげに舞っていた。
初めて見る光景だった。私は目の前に蛍がいるのに、はしゃぐのも忘れてそれに見入っていた。乱舞というのはこういうことをいうのか、と思った。蛍は淡く光りながら飛び、やがて草の上に止まると、ゆっくりとした周期でその光を明滅させて、そしてまた空を舞った。
何匹ぐらいいるのか、見当もつかなかった。ずいぶん古い記憶だから歪められているかもしれないが、100匹近くはいたように思う。それだけたくさんの蛍を、私は捕まえたりすることもせず、ただ夢中になって追っていた。ツヨシくんたちも、そうしていた。現金なもので、さっきまでの「何やってんだ、俺?」という気持ちは、たくさんの蛍を見たらどうでもよくなってしまった。そして、だんだん夜が更けて蛍が姿を消してしまうと、私達は帰途についた。
この季節になり、蛍のニュースが流れると、田んぼの上をたくさんたくさん舞っていたあの日の蛍と、ツヨシくんとイクミちゃんを見て何となく面白くなかったあの日の気持ちを思い出す。
ちなみにツヨシくんとイクミちゃんはその後つき合い始めたのだが、去年(!)、別れたらしいという話を風の噂で聞いた。




文中の片仮名は仮名です(←『AERA』風)。人気blogランキング