さくらさくら

月曜日に、ちょっと用事があって、飯田橋まで行ってきた。
よく晴れたいい天気で、まだほころびかけ、ぐらいではあったけれど、外濠公園には桜が咲いていた。平日だし昼間だったので、さすがに花見をしているグループはいなかった。でも、会社員風や就職活動中の女子学生、高校の卒業式帰りといった感じの親子が、立ち止まって桜を見上げたり、写真を撮ったりしていた。
桜を見るのは好きで、特に春の宵に、生あたたかい風に吹かれて見る夜桜なんかはとても素敵なんだけれど、私の中ではいつも、桜を見るっていうことに哀しさとか寂しさが、なぜかちらついてしまう。そんな感情が、楽しさと隣合わせになってしまう。そりゃ花見になったら酒も飲むし陽気に騒ぐけど、最初から最後まで素直には楽しめない。
みんなでワイワイやっているときに、ふっと我にかえって、なんというか、寂寥感を覚えちゃったりする。
そして、「どうせ散るんなら、咲かなきゃいいのに」とぼんやり思う。
散るからこそ美しいんだよ、と一世風靡セピアみたいなことをわかったふうに言って、納得してみようと思う。でもやっぱり哀しさが、酒の酔いと一緒に少しずつ、体に回っていくような気がする。夜も更けたらちょっと寒くなっちゃって、酔いが醒めてしまうのだが、そうなると哀しさが残り、楽しさの方は醒めてしまう。
だからって、桜を見るのがイヤだというわけではない。むしろ、見られないとそれはそれでもっと寂しいのだが、でも、桜を見て感じる哀しさは、たぶん今年も私の中に湧き起こってくるだろうと思う。
この週末が、いよいよ満開みたいだ。
どうせ散っちゃうのに、桜は今年も、がんばって咲く。咲こうとしている。
散っちゃうけれど。
散っちゃうまでは。




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