幾何学的教訓

私は、子どものころから算数や数学のたぐいが大っきらいだ。たぶん、ハクション大魔王と同じかそれ以上ぐらい数字には弱い。♪ハハハン ハ 泣けてくる〜ってなもんである。高校受験のときはもう数学はあきらめて、数学を受けなくてもいい学校を探して受験した。国語と数学の偏差値が最大で14違うってどういうことかと。
ことにキライだったのが図形だ。やれAとBの間の長さを出せだの、この部分の面積を求めよだのっていうやつ。なんべん図形を見ても、なんべん問題を読み返してもさっぱりわからずに、タイムアップでギブアップになってしまう。しかたなく解答を見ても、よくわからない。なぜゆえこんな答えになるのかちっとも理解できない。だから納得しようと思って解説を読む。そんなとき、私がいつも騙されているような気がして、ズルをされているような気がして、腑に落ちなかったのは「補助線」というやつだ。
「こことここの間に補助線を引く」と解説には書かれている。え? 待って待って。コレ、その線引かないと答えが出ないってこと? 脂汗たらしながら、ウンウン唸って問題を見てた私の十数分はムダだったってこと? 補助線をどこに引くかひらめかなかったら、もうそこでダメってこと? そんなのってないじゃん。ていうか、国語の問題で便宜的に「補助文」を勝手に挿入したり、「補助登場人物」を新たに出してみたりとかってしないでしょ? しちゃダメでしょ? なのになんで数学はそれやっていいの? 私はいつも、絶対に納得できなかった。だって、問題そのままの状態をいくらひねり回してみたって答えが出ないなんて。引きたかったら補助線を引いてもいい、なんて書いてないのに。ずるい。
学校の先生に、こんな文句と不満をぶちまけたら、彼はやさしく教えてくれた。
「国語の文に勝手になんか書き加えたら、もとのと違う文になっちゃうだろ。けど図形は、もとの形を変えない限りはどこに線を引いたっていいんだよ」
私はその説明自体にもあまり釈然としなかったのだけれど、そこは受け流した。そして、先生にもう一つの(そして最大の)疑問を問いただした。
「それだったら、補助線ってどこにどうやって引いたらいいんですか?」
先生は、カンタンなことだと言わんばかりに答えてくれた。
「そんなの、『ああ、ここに線があったら答えるのに便利だな』って自分が思うところに、好きに引いたらいいんだよ」
それがわからないから訊いてんだろ、バカ!
そして、私は結局、図形の問題がずっと不得手なままだった。
私は、いつも思っていた。こんな、図形の面積を求めろなんて問題がなんの役に立つのかと。お前らはそんなにも、日々、図形の面積を気にして線を引いて求めて暮らしてんのかと。そんなことをやるより、絶対に国語とかの問題をやるほうが役に立つ、と思っていた。
でも、違った。そうじゃなかった。私は、そのことにだいぶ大人になるまで気付くことができなかった。
図形の面積を求める求めないが、大事なんじゃない。大事なのは「自分が問題を解決したいときや困ってるときには、必要だったら『補助線』を引けばいい、引いてもいい」っていう、「発想」を身に着けることだったんだ。
いま、私は自分の身の周りの問題をうまく解決できない大人になってしまった。どこかに、すうっと一本、「補助線」を引いたらきっと、たちどころに答えが見えてくるはずなのに。でも、図形が苦手だった私には、その「発想」がない。与えられた条件だけで問題を解こうとし、いつまでも問題文と図形をにらめっこして時間だけが過ぎていく。
こんな大事なことなら、もっとちゃんと教えてくれればよかったのに…。




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