写真と握手

昨日は、私も弟も仕事の都合がついたので、両親と四人で、昨年亡くなった祖父の墓参りに行ってきた。命日からひと月ばかり遅れの、小ぢんまりとした(し過ぎた)法事のような、そうでないようなイベントだった。夏みたいに暑い中、祖父の墓に四人で手を合わせた。よく晴れていたが風が少しあり、線香になかなか火が着かなかった。
そのあと、祖母が一人で待つ、母の実家に行って軽く食事をした。祖母は、完全な寝たきりでこそないものの、体の自由があまりきかない(だから、祖父の墓にも行くことができない)。むろん、同じ歳でもっと元気なお年寄りだっているのだろうが、93歳だから、相応に体にがたが来ているのだ。ほとんど動かなくなり太ってしまった祖母は、1年ぶりに顔を見せた私と弟を見て、相好を崩した。私が誰だかわかっているし、弟が何の仕事をしているかもわかっている。父と私と弟と自分の息子の区別もつくし、会話も成り立つ。でも母によれば、おそらくはその記憶や認識も、少しずつ少しずつ、花の種が風に撒かれるように消えていっているのだという。何度も同じ話をにこにこしながらする祖母が、遠くに行ってしまいそうにみえた。
祖父は96で逝った。以前のエントリでも書いたが*1、入院からあっという間に亡くなってしまったので、きちんとしたお別れを言うことができなかった。亡くなる10ヶ月ほど前に、挨拶に行ったのが結果的に最後になってしまった。シャイで、人付き合いが下手で、孫や娘たちが訪ねてきてもやや遠まきにしながら静かに笑っていた祖父らしい去り際だったけれど、そのことは私の中で、ずっと後悔となって残っている。
夕方、祖母宅を後にするとき、iPhoneのカメラで祖母の姿を2枚ほど収めた。そして、帰り際に私は、「じゃあ、また来るね」と言って、祖母の手を握った。温かくて、柔らかい手だった。いま祖母は、死の床に伏せっているわけではない。でも、今度握るその手に、まだぬくもりと弾力が残っているということを保証し、約束してくれるものは、どこにもない。



食欲はまだあるようで、好物の寿司を少し食べていた。何よりだった。人気blogランキング

*1:http://d.hatena.ne.jp/Chatterton/20130910 をご参照されたい。