「国鉄戦後五大事故」の一つに数えられる/

以前、ちょいとわけがあって、県内の同業他社の方々といっしょに、数日間ほど某所で仕事をしてきた。
仕事の空き時間に、50代後半とおぼしき方と話をしていたら、その方は徳島のご出身だという。
「でもね、小学校の修学旅行は高知だったんですよ」
「ずいぶん近場に行くんですね」
「いや、もともとはやっぱり京都だったんですけど、しばらく高知に行ってて、で、私の翌年から、また京都が復活したという」
「ありゃりゃ・・・。・・・あの当時っていったら、当然京都までは船ですよね?」
「そうそう。でもね、私が子どもの頃ぐらいに連絡船の大きな沈没事故があって、修学旅行生が大勢亡くなったんですよ。それでしばらく、船を使うのが自粛になって・・・」
「・・・もしかしてそれ、『紫雲丸』ですか?」
「ああ、そう! それ、紫雲丸ですよ! いやぁ、そういえばそんな名前でしたね。言われて思い出しました。ずいぶん詳しいんですね、まだお若いのにそんな昔のことに」
素直に感心されてしまった。ふだんの職場だったら「さすが『クイズ』だね」でおしまいなところを。
まぁ、「紫雲丸事故」はクイズを始めるよりずっと前に、とあるソース(恥ずかしいから書きにくい)で知ってたものなんだけど



昭和30年の出来事だそうです。人気blogランキング