すこし・不思議

漫画好き・SF好きには基礎教養であろう、藤子・F・不二雄のSF短編。その中でもこの『気楽に殺ろうよ』気楽に殺ろうよ: 藤子・F・不二雄[異色短編集]  2 (2) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)をご紹介いたしたい。
ある日、目が覚めると突然、パラレルワールドに迷い込んでしまっている主人公。その世界は見た目は今までの世界と変わらないが、殺人が合法化されており、また食欲に関する価値観と性欲に関するそれが逆転してしまっている*1。そんな中で一人正常な(?)価値観を持ち続けている主人公は、妻に連れられて精神科でカウンセリングを受けるが…、というお話。面白いので未読の方はぜひ、なのだが、ここで私が好きなのは作品の中に登場する、食欲と性欲の価値観逆転を示すエピソードである。先に挙げたものの他に、精神科医が主人公に嬉しそうに「乱食パーティー」の写真を見せたりとか、浮気が原因で奥さんに殺されてしまう近所の旦那は奥さんに「隣のみよちゃんとご飯食べようだなんて、このケダモノ!」と包丁でいわされてしまったりとか。こういう、実に単純なフィルターをかけるだけでこの世界が不思議に見えてしまうこと、それ自体が「不思議」であることに気付かされる。
私は大学(文学部日本文学科児童文学専攻)の卒論を『ドラえもん』で書くというナメたマネをしでかしたのだが、その中で、F作品の特徴の一つにロシアフォルマリズムの「異化効果」へのこだわりという点を指摘した*2ドラえもんのび太のファーストコンタクトが、のどかでごくありふれたお正月の昼さがりに、のび太の机の引き出しから突然ドラえもんが登場する、という形で描かれていることでもそれは明らかであろう。
ではなぜ、Fがごくありふれた日常の「異化効果」にこだわったのか。それは(まとめるのが厄介になってきたので以下略)。

*1:子供向けの絵本『シンデレラ』のラストにはシンデレラと王子のベッドシーンがバッチリ描かれているし、食事をするときは灯りを消して鍵を閉めてカーテンを引く、という具合である

*2:ちなみにその卒論(というかムダに長い読書感想文)の主旨は「『ドラえもん』は、のび太を主人公としたビルドゥングスロマンである」というものだったはずだが、テキトーに書いたのでよく覚えていない。