はるかなる想い

サンプラザ中野『大きな玉ネギの下で 〜Story of '85〜』。
大きな玉ネギの下で~story of ’85~
私が今まで最も長くファンであり続けたアーチストが、爆風スランプである。1999年4月に活動を休止するまで11年間、ずっと好きで聴き続けていた。サンプラザ中野が書く詞が好きだった。私の10代は爆風の曲とともにあったし、寒いのを承知で書けば、私の「青春」だった。
そして今、その私の「青春」の象徴だったあのヴォーカリストは、株で一発当て、健康談義で小金を稼ぎ、マラソンなぞも始めてしまい、女子アナとよろしくやっている。そして昨年の12月、彼は某番組の「フルマラソンで6時間を切れなかったら罰ゲーム」という企画で6時間を切れず、「罰ゲーム」として「一日だけの爆風再結成ライヴ」をした。もうその話題にすらあまり興味を引かれていない私がいたのだが、ギターのパッパラー河合は活動休止以後、全く音楽活動から離れてしまい、3日間の猶予をもらってギターの練習をしなければライヴに臨めないという体たらくだった。
人は誰でも「青春」に別れを告げなくてはならない。自分から別れを告げないのであれば、いつかそれは無残な形で断ち切られることになる。
サンプラザ中野が、『Web現代』で連載していた小説をまとめた単行本が出た。爆風の代表曲と同名であり、その曲のバックストーリーとして書かれた「青春小説」である。「爆pスタンプ」というロックバンド(ヴォーカルは「サンパウロ中野」である)のファンである少女・夕子。彼女は、やはり爆pのファンであるペンフレンドの辻島衆二と、1985年12月13日の爆p初の日本武道館ライヴ(もちろん、爆風の実際の初武道館ライヴも同年同月同日である)に行く約束をする。まだ見ぬペンフレンドとの初の逢瀬、そして大好きな爆pの初のライヴに夕子は胸をときめかせるが、受験生である彼女に対し、両親はライヴに行くことを許さない…。
物語は、夕子の青春である1985年と、その夕子の忘れ形見である娘・伽耶のいる2005年の2つの時間が重層的に描かれる。なぜあの曲の主人公が待つ相手は「大きな玉ねぎの下」に現れないのか、あの曲の主人公が待っていた相手は誰だったのか。曲の中で明かされなかった疑問がストーリーの中で解かれてゆく。バックストーリーという体裁を取りつつも、サンプラザ中野爆風スランプというバンドにかけた「青春」のストーリー自体が、「爆pスタンプ」と「サンパウロ中野」というキャラクターに仮託されつつ描かれている。著者自身の「青春」、彼が創造した曲とそのキャラクターの「青春」、そしてその曲を聴いていた私の「青春」。三つが重なりあって結んだ像は、ほんの束の間だけ、私が別れを告げたはずの「青春」の姿を蘇らせた。しかし、それだけのことだった。はっきりいって、小説として格別に面白いというものではないし、爆風ファンでない人に読むことを勧める自信はあまりない。ただ、作品の中で「サンパウロ中野」(=サンプラザ中野)が語った、『大きな玉ねぎの下で』という曲の製作秘話だけが私の胸を打った。あの曲が作られた意図を、私は20年目に初めて知ることになった。それだけで私にとっては十分だった。
その製作秘話はあえて書かない。知りたければ読んでみてくれ、と勧める価値がある本ではないが、私の「青春」の曲の秘話は、曲を聴き、本を読んだ人と共有したいのだ。



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