今日の愛国心

清水義範『ピンポン接待術』。
ピンポン接待術 (ノン・ポシェット)
高校から大学にかけて、一時期清水義範はけっこう読んでいて*1、これも単行本で一度、学生の頃に読んでいる。ちなみに単行本の『体に悪いことしてますか』を文庫版で改題。当時は貧乏学生だったため(何しろ酒代が必要だったからねぇ)本をホイホイ買えず、単行本は図書館で借りて読んだのだが、今回、この中のある作品だけをどうしても再読したくなり、買った(祥伝社なんてマイナーなところから出てるから少々苦労した)。
この作品は短編集であり、収録された作品はいずれも「スポーツ」をテーマとしている。ゴルフが法律で禁止された近未来で、接待ゴルフの代わりに接待卓球が流行したらどうなるか、を描いた表題作や、引退した力士の転身を描く『どすこいコメンテーター』など、清水義範らしいユニークな作品が多いのだが、私が読みたかったのは『選手村のクムラ・クムラキンピル』である。
貧しい小国・ガォンギレで一番の俊足を誇る若い農夫クムラ・クムラキンピル。彼は同国始まって以来のオリンピック選手として、たった一人の選手団を組織し、大国・パスタリオのハバロフで開かれるオリンピックに出場することになった。生まれて初めての海外渡航。大都会の高層ビルや巨大で近代的な選手村など、全てのものに圧倒されながらも彼はガォンギレの代表として力を尽くそうと決意する。
100m、200m、400m、110mハードル、400mハードルに出場する彼だが、ガォンギレには電子計測機器がなく、またオリンピック標準記録という概念も充分認知されていなかったため、ガォンギレ一の俊足のはずの彼は、ことごとく予選で最下位を喫してしまう。最終の400mハードル予選の前夜、国を背負ってオリンピックに参加しているのに不甲斐ない結果に終わる彼は、選手団役員のケモラス・クンデラパロに「自分は国の面目をつぶし、とんだ恥さらしをしちまったんだろうか」と弱気になって訴える。

「バカなことを言うんじゃない」
ケモラス・クンデラパロは怒って大声を出した。
「何が恥さらしなものか。どうして国の面目をつぶすもんか」
「でも、この結果だよ」
「やめろ。何が結果だ。何がオリンピック標準記録だ。そんなものはどうだっていいんだよ」
ケモラス・クンデラパロは、クムラ・クムラキンピルの頭を腕で抱えてぐりぐりねじりまわした。
「お前、今までのレース、国のために全力を尽くして走ったんじゃないのか。ガォンギレの名誉のために、力をふりしぼったんじゃないのか」
「は、走ったよ。おれ、こんなに夢中で走ったことはないってくらいに、がむしゃらに走ったんだ。だけど……」
「だけど、じゃない」
頭をぐいぐいしめつける。
「それでいいんだよ。それが、ガォンギレの名誉なんだ。いいか。お前はガォンギレで一番のランナーなんだ。そのお前が、世界の人の目の前で、ガォンギレって国があり、そこに人間が住んでるってことを、そこの人間もスポーツを愛してるってことを、示したんだよ。それは、何よりも名誉なことなんだ。結果なんて、それに比べたら小さなことなんだよ。

そして、クムラ・クムラキンピルは次の日の400mハードルの予選に死力を尽くす……。
畢竟、「国を愛する」ということはそういうことなのだと思う。ナショナリズムとか歴史認識とかそういう政治的でややこしい話ではなく、「自分は○○という国の一員であり、代表である」という意識と、その国を世界の人びとに誇りたい、という自発的な気持ち。それこそが、プリミティブな「愛国心」というものなのだ。
スポーツに興味ゼロの人間がいっても説得力はないが、だからこそ我々はオリンピックやワールドカップサッカーにあれだけ熱狂し、「日の丸」を背負った選手に、心から声援を送るのだ。
昨年のアテネ五輪・水泳女子800m自由形で優勝した柴田亜衣は、金メダルを獲得した直後にこう語っている。
「最初は実感が湧かなかったんですけれども、表彰台に上がって日の丸の国旗を見たら、金メダル取ったんだなって……」


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*1:高3の頃、某大会で「『柏木誠治の生/」という暴力的なポイントで正解したことがあった。