俺たち三十路前

先々週ぐらいに無事(?)誕生日を迎えました私ですが、abarehaccyakuさんも私の4日後に誕生日を迎え、ほぼ時を同じくして2人とも29歳になったわけです。
昨日、インターネットラジオの本番前にabarehaccyakuさんと喋っていたとき、「これから我々が経験するいろいろなことが、ことごとく『20代最後の○○』になるわけなんだよ」と私は言った。abarehaccyakuさんも同意した。我々はこれから、いろいろな「20代最後」を経験するのだ。20代最後の終電寝過ごし、20代最後のカラーリング、20代最後の結婚式出席、20代最後の失恋、20代最後のOS再インストール、20代最後の「富士そば」、20代最後の二股、20代最後の口内炎、20代最後のスピード違反…。
すると、abarehaccyakuさんが言った。
「そうだよ、いま『20代最後の梅雨』だし」
はっとした。そうだ。もしかしたら、いまのこれが「20代最後の梅雨」だったりするかもしれないのだ*1。そう考えると、いつもは鬱陶しくてイヤでイヤで仕方がない梅雨が、急に愛おしく、名残惜しく感じられてしまった。「ねぇ、なんなら明けなくてもいいんだよ、梅雨?」みたいな切ない感じである。
似たような話を先日、某所でもした。20代最後のことがこれからたくさん出てくるのだ、というとその場にいた30代以上の知人は「いや、意外と30歳になったってそう何かが変わるもんじゃないよ」と語った。そりゃ私もそうだろうとは思う。単に29歳から30歳になったからって、別に何かが劇的に変わるってものでは(多分)ないだろうが、それでも私の中で「20代」という時代が(不可避的に)終わってしまうことに対する喪失感ってものは十分予感できる。10代の終焉のときにはついぞそんなもの感じなかったのに、である。それは年を取りたくないとか、まだ若くありたいとかそういうこととも違う*2ような気がする、名状し難い感情だ。
というわけで29歳になってからこっち、無闇に感傷的になってしまって困る。泣こうがわめこうが30歳という年齢はやってくるのだから、せいぜいこれからやってくるたくさんの「20代最後のことども」を大切にしようと思う。20代最後のレバ刺しで食あたりとか、20代最後のカラオケデュエットがオヨネーズの『麦畑』とか、20代最後のレンタルDVDが前にも一度観た作品だったとか、20代最後のejaculationが寝てる最中に夢を見て、とかそんなもったいないことにならないようにしなくてはね。とりあえず、20代最後の夏は充実して過ごしたいものであるよ。




「あばんちゅーる」とかいうものも体験してみたい(の?)。人気blogランキング

*1:まぁ平年の関東地方の入梅を考えると、多分30歳になる直前、まだギリギリ20代のときにまた来年の梅雨が来そうなのだが。

*2:むしろ最近、行動は進んでおっさんくさくしているし、順調にそうなっていっている。