いい部屋にはいい笑顔

私は会社の寮で一人暮らしをしたことはあるが、自分で契約して民間のアパートやマンションを借りて住んだことは今までない。しかし会社勤めの時分、実家から片道1時間半近くかけて通勤するのもしんどくなってきたので、物件を探してみたことがある*1。もう4年ほど前のことだ。
当時の私の勤務先はJRの浜松町、都営浅草線大江戸線の大門、都営三田線御成門、あるいは東京メトロ日比谷線の神谷町が最寄り駅だったので、その沿線で正味の通勤時間が1時間かからないぐらいの場所の部屋を探し始めた。首都圏以外の読者の方にはわかりにくくて申し訳ないが、その条件に合致する界隈というのははっきりいって交通至便といってもいいエリアで、当然そこらでまともに住める物件は家賃もお高い。よく、物件選びの本には(特に一人暮らしビギナーは)「家賃はなるべく手取り収入の三分の一以内に収めよう」などと書いてある。しかし、その頃の私は薄給で、それに従ったらせいぜいン万円、というところだった。
そうなったらいろいろ妥協せねばならない。木造だろうが自分より年上の物件だろうが1階だろうが日当たりが悪かろうが構わん。ということで最低条件として①風呂・トイレつき、②駅から徒歩10分以内、③ン万円以内という感じでいろいろ探したのだが、そうおいそれとは見つからない。
そんなある日、ネットで出物があった。JR大井町徒歩8分で築6年、RC5階建ての3階で25平米の1K、収納もついて家賃が58,000円だという。相場よりもかなり安く、こちらが設定した条件内の家賃だ。大井町から浜松町までは京浜東北線で8分、ドア・トゥ・ドアで職場まで30分という好条件である。そんなわけですぐ電話を入れ、その物件を扱っている渋谷の不動産屋に出向いた。
地図を頼りにその不動産屋に辿り着いたまではよかったのだが、どうも様子がおかしい。来ている客はみんなギャル風の金髪にガングロ(死語?)、応対している社員はみんなホスト風のチャラい感じの男ばかり。「なんかヘンなところだな」と思いつつも来意を告げ、アポイントを取ってあった社員に会う。果たして、その男もやはりチャラい感じだった。「当社はいいお部屋、たくさんありますよ」といいながら、私が探しているエリアの物件をいろいろ見せてくる。しかし、エリアこそ該当しているが条件には合わないものもいろいろ薦めてくる。第一、私が見たいのは大井町58,000円の物件だ。
「あの、すいません。で、ネットにあったこの物件は……」
彼のセールストークを遮って私は言った。彼は一瞬動きを止めたものの、私が言った物件の資料を持ってきてくれた。
「そうそう、これでしたね、お電話で言ってたのは。これも非常にいいお部屋なんですよー」
だから初めからこれを見せろっつぅんだよ。
「ただねー、ここ、前の方がお部屋で亡くなって、死体で発見されてるんですよねー
はい、そこのアナタ正解! うすうす感づいていた方も多いと思うが、ものっそいベタな展開になってきた。私は混乱してしまった。こんなことって本当にあるんだなぁ、とぼんやり思いつつ「あぁ」とか「はぁ」と相槌を打つのが精一杯だった。
「ちょうどねー、真夏の時期だったんで、死体もいい感じに腐乱しちゃってたんですよー(笑)」(←本当にこう言った。チャラい社員が。昆虫よりアホそうな社員が)
「…その人は、いくつぐらいの人だったんですか?」(←本当にそう訊いた。それを訊いてどうしようというのか私)
「うーん、確か20代くらいの学生さんでしたね」
20代っつったら人がまともに死ぬ年令ではない。自殺ということだろう。もちろん、部屋のクリーニングなどは済んでいるという。
私は考えた。どうしよう? そりゃ確かに気味のいいものではない。でも、実際的な害はないのだ。世の中には安さに魅かれて結構「事件もの」の物件に住んでいる人もいるというし、「俺の部屋、人が死んでるんだよね」なんてネタとしてはちょっと面白いではないか。何よりこの気味悪さをガマンすれば、築浅格安、交通至便な物件に住めるのだ。
それなりの決心をして私は、その社員に「とりあえず、部屋を見せてください」と答えた。すると、その昆虫よりアホはこうのたまったね。
「あ、それとこの手の事故物件って、事故が起きてから1年間は告知義務があるんでこの家賃なんですけど、1年を過ぎたらまた家賃が元に戻りますから
えー!? そんなのってアリなの? 私は不動産関係に明るくないんでわからないんだけど、これってどうなの? その事実を知らされて入居した場合、その人が入居してる間はその安い家賃が適用されるもんなんじゃないの?(ご存知の方、ご教示ください)
「よろしいですか?」。昆虫が、真っ黒に日焼けした顔を醜く歪めて笑いながら私に訊いた。
よろしいわけねぇだろそんなもん。
というわけで私のお部屋探しは終了した。もっとも、その後に入れた寮は会社まで徒歩15分で新築ワンルーム、家賃( ナイショ )円だったので結果オーライだったのだけれども。
今でも電車に乗っていて大井町を通ると、私はふっと、あの部屋のことを思い出す。今ではそんな事実などなかったかのように、正規家賃で貸されているはずの「死体もいい感じに腐乱しちゃってた」部屋のことを。まぁよくある話だから、気にし出すとキリはないのだけれど。




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*1:結局、それが決まらないうちに寮に空きが出て入れることになったので契約には至らなかった。