「風の歌」を聴け

「完璧な競争馬などといったものは存在しない。完璧な文章が存在しないようにね。」
僕が大学生のころ偶然に知り合ったある調教師は僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後、2006年の菊花賞でのことだったが、少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な競走馬など存在しない、と。
しかし、それでもやはり馬券を買うという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に買うことのできる馬券はあまりにも限られたものだったからだ。例えば幸四郎について馬券が買えたとしても、豊については何も買えないかもしれない。そういうことだ。
9年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。――9年間。長い歳月だ。
もちろん、あらゆることから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、馬券をはずすことはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕はそういった馬券の買い方を取ろうと努めてきた。おかげで競走馬から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な競走馬がやってきて僕に語りかけ、まるでターフを駆け抜けるように僕の上を通り過ぎ、そして馬券に投資した金は二度と戻ってはこなかった。僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。



続きはありません。お暇な方、書いてみてください。
ソングオブウインドなんて馬がいるんですね、知らなかったよ。




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