国語・算数・理科・社会

なんだか全国各地の高校で、学習指導要領に定められた科目の未履修が発覚して、生徒の卒業が危うい、なんてなことになっているようですな。
「受験に必要な科目を優先してやりたい」という生徒の本音はともかく、それがあっさり通って基本中の基本である学習指導要領(現状の内容がベターかどうかはさておき)を先生がすっ飛ばして10年近く(あるいはそれ以上)平気の平左、突っつかれてようやくしぶしぶ認めた、みたいな話なわけですよね。現場の実情などはいろいろありましょうが、まぁまともな状態でないことが常態化していたことは確かなんでしょうな。
ただ、この件に関する私の偽らざる感想としては進学校ってのも大変なんだなぁ」がまず第一なのですが。
何度かここでも書いているように、私の通った高校は大学の付属高でした。全入制ではなかったものの(現在は全入になったとかならないとか)、9割弱が付属の大学にエスカレーター式に進学していったわけです。であるからして、いわゆる受験勉強ってものとはほぼ無縁、ために文系・理系だの国立・私立だののクラス分けはありませんでした。「全生徒が、進路に関係なく、全ての科目を、等しく履修する」というコンセプトだったわけです(他の付属高もそんなもんなのかな?)。そんなわけで私は社会科は現代社会、世界史、政治経済、日本史と全部やりましたし、数学は数Ⅰ、基礎解析、代数・幾何、微分積分(旧課程)とひと通りやらされ、理科も生物、地学、化学、物理とこれまたフルコースでやらされたのであります。物心ついたときから理数系がじんましんが出るほど苦手で、入試科目に数学も理科もない高校をわざわざ探して受けたこの私が。あの3年間はツラかったなぁ。まぁ「受験の方がもっとツラいんじゃボケ!」と言われれば「そうなんでしょうね」と認めるに吝かでございませんが。
大学では、絶対に数字をいじくる必要のない(ついでに英語とも関係ない)国文科に進んだのですが、高校3年の2学期まででどうにか帳尻合わせをし、国文科への推薦に必要な成績をほぼ取ってしまっていました。だから最後の期末試験では数学・理科ともほぼ白紙に近い回答をして、物理14点(でたらめに書いた記号がいくつか当たった)、微分積分0点という輝かしい成績を胸に国文科へ進んだものでしたねぇ。威張ることじゃないか。
ま、そんな体たらくだった私が言えるこっちゃないのは重々承知です。けれども「受験にはムダな科目はあっても、履修しておいて(知っておいて)ムダになる科目なんて一つもないんじゃない?」とは、現役高校生より干支ひと回りがた年を食ってる人間の実感として言えると思います。
ハーグ密使事件とか、パップス=ギュルダンの定理とか、ミリカンの油滴実験などを私は、全科目やらされた高校時代に習いました。もう名前ぐらいしか覚えてなくてどんな内容か心もとないものがほとんどですが、それでも一応、それを学校で習った、ということが自分の中での「ひきだし」になっていると、その一つがどこでどんなふうに役立つかわかったもんじゃありません。知ってムダになることなんてないと私は信じてきたクチなんで。ムダ知識を金に換えているいまの仕事のせいもあり、余計にそう思うのでしょう。そういった意味では、逆説的ですが「『ムダ知識』すらムダではない」ということなのかもしれません。だとしたら、(現実的・時間的制約があるのは十分承知ですが)「受験に出るか出ないか」ぐらいのことで何かをまるまる切り捨ててしまうことは、なんとも勿体ないような気がします。まだ若いんだし。
思わぬところで思わぬことが役に立って、うれしい気持ちになれる。それが「勉強する」ってことの意味なんじゃないのかなぁ、とこの歳になって考えるのであります。まぁ、きれいごとなのかもしれませんが。




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