Dream off

家の近くに、ドリームオフができたらしい。
先週ぐらいだったか、新聞に、開店を知らせる折込チラシが入っていたことを母親が教えてくれた。
「見終わった夢、お売りください」
ドリームオフの象徴ともいえる有名なキャッチコピーが、母から手渡されたチラシには躍っていた。



今日は仕事が休みだったから、私は見終わった夢をドリームオフに売りに行くことにした。先週は、まだ開店したばかりだったからだいぶ混んでいたようだが、今日ならば大丈夫だろう。
私は売ってしまいたい夢を棚から選び出すと、スーツケースにそれらを放り込み、持っていくことにした。もちろんわざわざスーツケースを持ち出すほど、売りたい夢がたくさんあるというわけではない。ただ、なんとなく、「夢」というものは「スーツケースに詰め込む」もののような気がしたのである。



もともと、私はほとんど夢というものを見ない。極力見ないようにしているというわけでもないのだが、なぜかなかなか夢を見ることはない。
世間には、夢見家とでもいうべき人がいて、熱心に、一つでも多くの夢を見ようとがんばっている。新聞や雑誌の夢評欄には必ず目を通し、気に入った夢はかたっぱしから見る。そして見終わってしまった夢は、見たそばから、この手の店に叩き売り、そうすることによってまた新しい夢を見たり、夢棚を整理したりする。そういう人たちがいる。
当然、私は夢に、そんな熱心さなどは持ち合わせていない。
いないのだが、もう見終わってしまって、そして、できればもう見たくはないのに、自分の意志とは関係なくなぜかちょくちょく見てしまう夢を、ドリームオフまで売りに来たのだ。



店内は、四分ほどの入りだった。オープンから一週間ほどが過ぎた、しかも平日の昼間にしたら、これでも割合よく客が入っているほうだろう。
私は、夢の買取カウンターに行き、夢を売りたい旨を店員に告げた。
「悪夢ばっかりなんですけど…」
痩せぎすで、眼鏡をかけたバッタのような若い男性店員は、言い訳がましく呟いた私の言葉など初めから聴く耳すら持たないかのように聞き流した。そして、きわめて慇懃に、それでいて無機質に、買取に関する注意事項をいくつか私に述べた。私も、それには聴く耳など持たない。ただ最後の「場合によっては、ご希望に添えない場合もございます」という言葉だけを、私は耳に留めた。



買取の計算が済むまで、しばらく店内でお待ちください、とその店員が言ったので、私は店内を歩き回ることにした。
店内の夢棚には、中古の夢が所せましと、ジャンル別に並べられている。夢自体には興味のない私だったが、この夢棚に並べられた無数の夢は、いったい誰が最初に見て、どんな経緯でこの店に売られてきて、いくらの値段がつけられるに至ったのか、には多少興味をそそられた。
児童コーナーに行き、たまたま目に付いた夢を手に取った。それは、遠足のバスの中で、トイレを我慢できずに失禁してしまった小学生のものだった。この夢を手放した彼は、いつ、どこで、どのようにして、この夢を見たのだろうか? そして、彼はやはりこの夢を見たときおねしょをしたのだろうか? 
もともとはひとつひとつ、それぞれに持ち主がいたであろうこれらの夢の、なにか毒気のようなものに当てられていると、カウンターから、私の名前を呼び、計算が終了した旨を告げるアナウンスが流れた。



「大変お待たせいたしました。フジサワ様、本日は13点の夢の買取のご希望ですね」
メガネバッタは、先ほどのように慇懃に、無機質に言った。もとから、いくらも値がつくことは期待していない。ただ、手元に置いておきたくない夢を処分したかったから、ここに来たのだ。
「まず、こちらの悪夢6点が合計で1,050円、こちらの悪夢が4点で合計450円となります」
思っていたより、よい値段がついた。6点のほうは、私が軽いうつ病を患っていたとき毎日のように見た、真っ黒な顔をした西洋のお姫様が、私の頭を万力で締め上げてトマトのように潰してしまう夢。4点のほうは、幼稚園児だった私を、担任の保母さんが、満面の笑みを浮かべながら出刃包丁で追いかけ回し、逃げ切れなくなった私が背中からひと突きにされる、という夢だ。
「あんな気味の悪い夢に、値段なんてついたんですか?」
「一作4点以上の長編で、ホラーものはただいま人気の商品でございまして、当店でも買い取りに力を入れさせていただいております」
メガネバッタはそう言ったあと、少し申し訳なさそうな顔を作ってみせた。
「で、この3点のほうなんですが、誠に申し訳ございません。こちら、お値段がつかない商品となりまして、買取のご希望に沿うことができかねるのですが」
3点の夢は、ハルカが出てくるものだった。
ハルカと、公園でバドミントンをする夢。
ハルカと、場末のそば屋で酒を傾ける夢。
ハルカと、一緒にシャワーを浴びたあと『シェルタリング・スカイ』のDVDを観ながら、キスをしたまま眠りに落ちていく夢。
もちろん、私はハルカとバドミントンをしたこともなければ、『シェルタリング・スカイ』のDVDを観たこともない。現実の我々には何ひとつ起こらなかったできごとを、私は夢で見ていた。
なぜなら、それは夢だからだ。それが、夢だからだ。
ハルカは、半年ほど前、理由も告げずに突然私の前から姿を消した。そして私がいくら呼んでも届かない場所へ、私の知らない誰かと旅立ってしまった。もう、二度と会うことはできない。
おそらくは、夢の中でしか。



私が本当に手放したかったのは、ハルカとの夢だった。
もう彼女のことを思い出して哀しい思いをしたくない、という私の気持ちとは裏腹に、ハルカは忘れたころ、私の夢の中に主演女優として現れた。カーテンコールには応えてくれない女優として。
「いかがいたしましょう? こちらの3点は、お持ち帰りになりますか?」
メガネバッタが、ハルカとの夢を私に差し出しながら、上目づかいに訊いてきた。その店員の顔に私は、嫌悪感と不快感をほんの一瞬だけ覚えた。
「いや、いいです。ただでもいいんで、引き取ってください」
それでも一瞬だけ迷ってしまったが、私は店員に答えた。
「かしこまりました。ではお会計失礼させていただきます」



結局、ハルカとの夢を売りに行って私が手にしたのはたったの1,500円だった。
しかし、ハルカとの夢には値段はつかなかった。
でも、もうこれで、ハルカが夢に出てくることは、ない。
私はその1,500円で、ウイスキーをひと瓶買って家に帰った。




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