どうでもいいことをまた考えた

よく、若いカップルなぞが「今日で、あたしたちがつきあってから○年目」みたいなことを言ったりする。まぁ、夫婦の間にも結婚記念日があるわけだから、それになぞらえていったりするのだろう。
しかし、それに対して「今日で、前の彼女(彼)と別れてから○年目」などという人はほとんどいない。これはなぜなのだろう?
前者が誕生日の発想ならば、後者は命日の発想だ。法事だ。なんか、「恋の一周忌」なんて、なかなか詩的な感じがして悪くないような気がするのだけど。
ところで「恋の法事」はどんなことをすればいいのだろう? たとえば、普通の法事だったら親戚が集まり、お坊さんなども呼んでお経をあげてもらい故人を偲ぶわけだが、できれば恋の法事は、一人でささやかにやりたい。かつて付き合っていた相手との共通の友人などを呼んでにぎやかにやるという手もあるが、「故人」ならぬ「故恋」を偲ぶには、私は一人がいい。昔、二人でよく聴いていた曲とか聴いちゃったり、もらった手紙とかメールとかなんか読み返しちゃったりするのね。わかんないけどね。
まぁ結局のところ「恋の誕生日」は「ちょっと! 忘れるなんてヒドい!」と言ってくれる(言いやがる)人がいるけれど、「恋の法事」には、忘れたところでそんなことを言う人なんていないから、だんだん忘れられてっちゃうんだな、きっと。
ところで、「恋の法事」の弔い上げはいつになるんだろう? 三十三回忌でおしまい? えー、そんなに長くやるの? えー、たったそれっぽっちでおしまいなの?
とまぁ、そんなどうでもいいことを考える晩秋の夜であった。





私の場合、ある意味毎日が「恋の法事」です(?)。人気blogランキング