本当の「死語」とは何か

ちょっと前からここしばらく、「本当の『死語』」ってどんなものがあるかなぁ、と考えている。
たとえば、いまは使われなくなった単なる流行語(「チョベリバ」など)とか、そもそもその言葉で表わされる対象がなくなってしまったから使われない言葉(「専売公社」など)は、私は、純然たる「死語」とは言えないんじゃないかという気がしている。
流行語でもなく、普遍的な内容を指しているのに、いまは使われなくなった言葉こそが、「本当の『死語』」なんではなかろうか。例えば「作る」を意味する「こしらえる」とか、「やめる」を意味する「よす」などがそうであるように。「よせよ〜」とか「よせやい」なんて、どうしても加山雄三のイメージだ。また、自動詞の「へこむ」はよく使われるが(「彼女にひどいことを言われてへこんだ」など)、他動詞の「へこます」(「あいつ、生意気言ってたからへこましてやった」など)は「本当の死語」なのではないだろうか。
みなさんがご存じの、あるいは思い浮かべる「本当の『死語』」は何ですか?



私の中ではいまでも「死語」じゃない言葉もけっこうあるのだけれど。人気blogランキング