何が彼をさうさせたか

中学時代は片思いばかりで彼女なんか当然おらず、高校は男子校に行ってしまって女っ気なしの3年間を過ごしていたのに、大学で突如、文学部などという、半数以上が女性の空間に放り込まれてしまうことになった。
高校の3年間で、女子との口の利き方なんてすっかり忘れてしまったが、共学出身のフランクな女の子たちが、割りと話しかけてきてくれたりして、少しずつ「リハビリ」がされていった。
その中で、「一緒に帰ろう?」とか「お茶飲んでこうよ」とか「遊びに連れてって」とか「クッキー焼いてきたけど食べる?」などと、よく話しかけてきてくれる人がいた。顔も割りと好みのタイプだったので、「あの子は俺に気があるのかなぁ。だといいなぁ。付き合えるなら付き合いたいなぁ」などとそこはかとなく思っていたものだが、いつしかなんとなく疎遠になり、やがて、別の男子と歩いているのを見かけた。少なからずショックだったり寂しかったりしたが、そういうものだと諦めた。その後も、まぁ人並みに(?)女性と付き合い、人並みにふられて、ということを、20代から30歳にかけてぐらいの頃は何度かくり返した。その度に、悲しさとか悔しさとか寂しさとか怒りとかに襲われたものだが、時間やら酒やらに紛らわせられ、忘れさせられて今日に至っている。
何が言いたいかというと、私と、池永チャールズ某とはどこが、何が違うのだろうということだ。時代だろうか? 性格だろうか? 育ち方だろうか? ふられ方だろうか? 私が池永某みたいに絶対ならなかったという保証はあるのだろうか? いつから人づき合い、就中、男女交際というのは、命がけになってしまったのだろうか?



やはり義務教育の段階で、「恋愛」を教えるべきか。学校で。人気blogランキング