人生初110番

半年ほど前のこと。23時ぐらいに、洗面所で歯を磨いていたら、外から人の声のようなものが聞こえた(我が家の洗面所は玄関に近い)。気のせいかな、と思って耳を澄ませてみると、今度ははっきりと、男の怒声のようなものと、それに言い争うような女性の声が聞こえた。どうやら、マンションの共用廊下で男女が喧嘩をしているようである。
歯ブラシを咥えたまま、玄関に近づいて行ってドア越しに聞き耳を立ててみると、男のほうがかなり激昂しているようだった。「てめぇ、○○(地名)で何してたんだよ!」と、えらくローカルな地名を口にして、女性に詰め寄っている。前後の脈絡はよくわからないが、どうも男のほうが女の浮気か何かを疑っている痴話げんかのように察せられる。
おいおい、どうなるんだ? と思っていたら、ひときわ男が大きな声を出した後、女性が「誰か来てー! 助けて下さーい!」と叫び声をあげた。そして、何やら物音や、女性の悲鳴、泣き声なども聞こえてくるではないか。
「どうする・・・?」と家人と顔を見合わせた。外はかなり剣呑なことになっている様子である。しかし、ただの酔っ払いの痴話げんかである可能性も否定できない。だが、女性が鳴き声と悲鳴をあげて「助けて」と言っている。
「・・・出てって助けたほうがいいのかな?」
「でも、あんたがここに住んでるのはばれちゃうよ。喧嘩してるのだって間違いなくここの住人だし」
その通りだ。逆恨みされて、物騒なことになっても困る。しかし、まだ外の喧嘩は収まる気配がない。そうこうするうちに、また物音と悲鳴が聞こえてきた。
見殺しにするのもなんなので、意を決して、人生初の110番通報をしてみた。
「あの〜、なんか、マンションの廊下で、いま男女がですね、言い争いをしていて、その〜、『助けて』とか女性が言ってるんですけど・・・」
「あ、そうですか。ところでおたくのお名前は?」
「・・・言わないとダメですか?(面倒なことに巻き込まれたくない一斗茶太・36歳)」
「いや、別にかまいませんが。わかりました、では行ってみます」
と、どうにも要領を得ない感じで内容を伝え、電話を切って再びドア越しに聞き耳を立てた。すると、誰か別の住人(声からして中年男性のようだった)が、「なんかさっきからうるさいんだけど、こんな時間に何してんの?」と割って入った。すると、「いや、すいません。ただの喧嘩なんです。ほら、もう帰るぞ」といった感じの男の声がして、特に女も「助けて下さい! この人に暴力を振るわれたんです!」みたいに食い下がったりはしていなかったようなので、それっきり外での声は収まった。警察は、来たのかどうかわからなかったが、結果的には肩すかしを食らわされたことになったのだろう。
その日以来、この手の声は聞いていないし、別の部屋で女の死体が見つかってもいないので、結果的に、男のいうとおり本当にただの喧嘩だったらしい。大したことはなかったのだ。しかし、ここ最近起こった三鷹の女子高生殺害事件や、本八幡の22歳女性殺害事件などを見るにつけ、最悪な結末に終わったこの手の事件の何割かは、「結果的に大したことのないSOS」にまぎれて起こってしまったのかもしれない、と思う。というわけで、まぁ自分の判断は間違っていなかったと思っている。できれば、これが人生最初で最後の110番通報であってほしいものだ。



あ、よく考えたら110番はこれが初めてじゃなかったわ。人気blogランキング