【長文】仕事納めの思い出、あるいは納まらなかったちっぽけな恋について

今日で仕事納めで、年内のお仕事も終わりという方も多いのではないだろうか。私は明日まで仕事があるもので、まだ今年の仕事は納まらないのだけれど。
いままで勤めたことがある会社は一つだけなので、他の会社のことはよく知らないのだが、私が以前働いていた会社は毎年、年末の仕事納めの日になると、仕事は15時ぐらいで切り上げてしまう。そして、総務部だの人事部だのの各部ごとに、会議室で納会をやる。近くの酒屋から酒や飲み物を届けさせ、ピザとかオードブルとか乾き物なんかで軽く宴会をして、定時ちょい前には「よいお年を」ってなもんで退社というのが毎年のパターンだった。もちろん、部課長連中はまっすぐ帰ったりせず、若いのを拉致って二次会・三次会と年の瀬の街に消えて行くのだ。
さて、私のような若手は、納会の手配から後片付けまでをやらされる。もう10年ほど前の納会の日。ほろ酔い加減でゴミの片づけなどを終えて帰ろうとしたら、当時、同じ部にいた女性の先輩・ヤマナカさん(仮名)が声をかけてきた。
「一斗くん、うちの課長連中が、下で若手が降りてくるのを待ってるみたいだよ」
二次会に拉致する相手を物色している、ということらしい。要は、捕まったら面倒なことになる、ということだ。
「だからさ、私といっしょに裏口から帰らない?」。ヤマナカさんはそう言って、いたずらっぽく笑った。
私は、ヤマナカさんのことが好きだった。私より7つ年上だったから、その当時で33・34歳ぐらいだったが、松浦亜弥に似た、きれいな女性だった。社内でも彼女を狙っている人が何人かいるという噂も、まんざら嘘ではなかったようだ。
「そうしましょうか」。内心、小躍りしながら私は、ヤマナカさんの提案を受け入れた。
年末の夕方の街を二人で歩いていると、ヤマナカさんは「お茶、飲んでこっか?」と言い出した。もちろん断るはずもなく、二人でお茶を飲み、他愛もない話をした。そして、時間が18時を回ろうとしていた頃、ヤマナカさんはこう言った。
「なんか、歌いたい気分だな」
勘違いと笑われてもいいのだが、そのとき、ヤマナカさんは私と別れるのを引き延ばしているような気がした。いや、控え目に言っても、まっすぐ家に帰るのを引き延ばしているようには見えた。ちょっとだけドキドキしながら、私はヤマナカさんと、カラオケに行くべくカフェを出た。
幸い、カフェのすぐ近くにカラオケがあったのだが、とても混んでいた。諦めていったん出ようとすると、なんとその受付の待合スペースに、同じ会社の他部署の人たちがいた。
「あれ、一斗じゃん。あ、ヤマナカさんも。なんでいっしょなの?」
私とヤマナカさんは逃げるように外へ出た。
「びっくりしたねー」
「そうですね」。ヤマナカさんと二人でいたところを見られて、どう思われただろう、と私は考えていた。そんな私の気持ちを見透かすように、彼女は言った。
「見られちゃったね?」。そして、ヤマナカさんはふふっと笑った。
気の利いた返しは、もしかしたらあったのかもしれないし、それによっては私と彼女の距離や関係を、私が望んでいたような形で近づけることもできたのかもしれない。でも、私には「そうですね」というつまらない返事をするのがせいいっぱいだった。
「結局、どうする?」。彼女は私に訊ねた。少なくとも、「今日はカラオケはやめておこう」という結論はまだ彼女の中では出ていない。
チャンスだ、と思った。
「いったん家に帰って、どこかにくり出しませんか?」
当時、芝公園にあった私の独身寮と赤羽橋のヤマナカさんの家は、徒歩で5〜6分ほどしか離れていない。お互い一度家に帰って、改めて出直そう、と提案した。ヤマナカさんも賛成し、30分後に待ち合わせした。なんとなく、二人とも無口になって、北風の吹く桜田通り沿いを歩いた。私は今夜、どんなことが起こるのか(あるいは起こらないのか)をぼんやり考えていた。彼女が何を考えていたのかはわからなかったし、もちろんいまもわからない。
カラオケを探して田町方面に向かっていると、さらにまずいことが起きた。道の向こうから、私と同じ寮に住んでいる連中が、鍋パーティーの買い出しか何かをしてやってきたのだ。
「あれー? どうしたの、こんな時間に二人とも」
「あっ、私服じゃん。もう着替えてる」
これはどう見ても、「お互い何らかの明確な目的と意思を持って、二人で夜の街を歩いてますよ」という状況だ。さっきのカラオケの、「ちょっと会社帰りにノリでカラオケ来てみちゃったんだよね」的な場面とは違う。
めちゃめちゃテンパッた私は、何やらしどろもどろの言い訳をして、なんとかその場をやり過ごした。ヤマナカさんは特に申し開きはせず、私といっしょにその場を離れた。
なんとなく、気まずくなってしまった。「びっくりしましたね」とか「あんなところでバッタリ会うとは思わなかったですね」みたいなことをさらっと言えば、それでおしまいの話なのだが、私がヤマナカさんを意識しているから、何か適当な言葉が出てこない。そんな煮え切らない私に、彼女はこう言った。
「二人でいるところ見られて、どう思われたかな?」
核心を突かれた。きっとその質問の裏には、「一斗くんは『どう思われたい』の?」というヤマナカさんの意図があったのだ、たぶん。
・・・何を言えばいい? はっきり言うのならいまだ。いましかない・・・。
「さぁ、意外と何とも思われてないんじゃないですか?」
私は、その日何度目かの、そして最後のチャンスを棒に振った。結局、その夜は普通に二人でカラオケに行って、少し歌っただけで終わった。
その後も、ヤマナカさんとは何度か出かけたり*1、私の家で食事をしたり、彼女が私の部屋に泊りに来たり*2といったことはあったが、救いようもなく弱虫の私は、全てのチャンスをものにできずに終わった。そしてそれから数年後、彼女は会社を辞めた。社内結婚ではない寿退社だったが、最後まで私には結婚することを直接は言ってくれなかった(彼女の結婚を、私は人づてに知った)。
もう会社員ではない私は、ああいう「仕事納め」という雰囲気や宴会とはいまは縁がない。ただ、この時期になると、ヤマナカさんとドキドキしながら街を歩いたことをふと思い出す。



彼女とは、いまはもう連絡が取れない。人気blogランキング

*1:その数日後の大晦日には、二人で年越し蕎麦を食べた。

*2:残念なことに泊りに来たのは彼女だけではなかったのだが。