屋台と湯気とコップ酒

朝晩、寒い。って気づいたらもうすぐ11月じゃないですか。ついこないだ、正月を迎えたばっかりだと思ったのに。25歳過ぎると一年一年が本当に早く感じられることだなあ(詠嘆)。
で、こう寒くなると、「あったか〜い」的なものが恋しくなる。勿体ぶらずにいうと鍋だ。先日、知人の女性宅で今年の初鍋*1をしてきたのだが、やはり鍋がその真価を発揮するのは、関東では11月を過ぎて底冷えのする夜だと思う。鍋はあまり一人で食べるものではない。鍋というものはふぐだの牡蠣だの豆腐だのを食べているのと同時に、そのあたたかさや、団欒も一緒に食べているものだからである。鍋と人のあたたかさが「ごちそう」なのだ。
とは言うものの、同じ鍋でも寒い真冬に、たった一人で食べるのが似合うようなものもある。それがおでんである。一人で、というくらいだから当然家で自分で作るわけではない。おでんなんてものは、たくさんのたねを大きな鍋で一度に煮るから美味しいのであって、家で作るのも悪くはないのだが、できればプロの手に任せたい。もちろんコンビニでだって買えるが、ここはひとつ、お店に行きたいものだ。赤ちょうちんでもいいし、屋台だっていい。
鼻水をすすりながら背中を丸めて歩いていると、夜の街中で、自分を導く灯台のように赤ちょうちんがぼうっと灯り、北風に揺れている。「おでんもいいか。今日は寒いしな…」とひとりごちて年季の入った紺色の暖簾をくぐると、暖かい店内は人の賑やかな声にざわめいている。私を見つけた大将が「へい、いらっしゃい。お一人様?」と声をかける。寒い外から暖かい店内に急に入ったので眼鏡が曇り、苦笑しながらうなずく。カウンターに「どっこいしょ」と腰をおろし、ほかほかの手ぬぐいで手を温めてから、まずは熱燗を頼む…。
どうですか、これがおでんの正しいイントロダクションである。申し訳ないが、異論は許さないよ。中島らもも、『ネリモノ広告大全 ちくわ篇』(双葉文庫ネリモノ広告大全 (ちくわ編) (双葉文庫)の中でこう述べているのです。

おでんという料理はどちらかというと暗い。また暗くないとうまくない。屋台で寒風に襟をたて右手でチクワにかじりつく時、左手はポケットの中で電車賃を数えていないといけない。(中略)暗い。暗い証拠に、家庭でつくる明るいおでんは少しもうまくない。変にうますぎたりして不味い。

宅建だ。いや、卓見だ。ちょっぴりのペシミズムがカラシのようにツンピリッと、おでんの美味しさにひと味加えるのである。これが大勢でワイワイつつく牡蠣鍋やてっちりなどではそうはいかない。侘しさと切なさがあたたかさをより引き立てる。だから一人で、手酌しつつ食べたい。寒空から逃げ込んだオアシスのような店や屋台で、宝物のような温かいそれを押し戴くように、ハフハフ言いながら食べるのがよいのだ。中島らもは、よいおでん屋の条件についてこうも書いている。「少し悲しいことがあって、しかもとびきり寒い夜に飛び込む、すべてのおでん屋」
ところでおでんのたねで三つだけ選べ、といわれたらどうしましょう? 一人でやっと腰を落ち着けたカウンターで熱燗を一口含み、胃壁がとろりと温もって、さて何を注文しようかな、というところで大将が「お客さん、すいません。ウチはお客さんに出すたねはお一人3種類までと決めさせてもらってるんですよ」などと言われようものなら! ガビーン。どうする、どうするのよ。どうしちゃうのよ俺ー! 
とりあえず私は先ほど、真剣に4分ばかり考えた。もっと人生において真剣に考えなければいけない問題はそれこそ山積しているのだが、それらはひとまずさておき、おでんだねについて本気出して考えてみた。その結果、大根、厚揚げ、卵でファイナルアンサーとしたが、魚の練り物が1つも入っていないのに気づいて頭を抱えている。うわぁ、つみれとかも食いてー。うーん、難問だ。「地図の4色問題」ならぬ「おでんの3食問題」でありますよ。皆さんならどんな答えを出すでしょうか? ブリア・サヴァランも言っているではないですか。「君がどんなおでんだねを食べる人間か聞かせてくれたまえ。君がどんな人間か当ててみせよう」、と。



「ちくわ部」フォーエヴァー。人気blogランキング

*1:この場合の「初鍋」は、富士山の「初雪」みたいに「その年の最高気温を記録してから最初の鍋」という意味である。