爆風スランプ「45歳のフェス『恋愛の日』」

「7年間、本当にお待たせしてごめんなさい。皆さんのその7年間を、爆風スランプが、抱きしめます」
最初のMCで、サンプラザ中野はこう言った。1998年、自然消滅的に「活動休止」に入った爆風スランプが、7年の時間を隔てて、待ち侘びたファンの前に姿を現した。
2005年12月19日、月曜日。日本武道館、ではなく新宿コマ劇場。たった二夜かぎりのライブに、7年分、いやそれ以上の時間の思いを込めて、多くのファンが歌舞伎町に集った。
そして、私もその一人だった。

1.月光
2.満月電車
3.愛がいそいでる
4.青春のフレア
5.星空ダイアモンド
6.THE TSURAI
7.うわさになりたい
8.美人天国
9.東京ラテン系セニョリータ
10.シンデレラちからいっぱい憂さ晴らしの歌 今夜はパーティー
11.世直しロックンロール
12.KASHIWA マイ・ラブ
13.せたがやたがやせ
14.涙^2
15.Runner
16.45歳の地図 〜リストラヴァージョン〜
17.旅人よ 〜The Longest Journey〜

EN1
18.大きな玉ねぎの下で
19.よい

EN2
20.リゾ・ラバ −Resort Lovers−

『45歳の地図』という曲がある。1990年のリリースだ。世間はまだバブル末期の狂乱に浮かれていた頃、「濡れ落ち葉」という言葉が話題になっていた。45歳という年を迎え、ふと自分の青春が何だったかを問い直した男が「私の青春を返せ!」と歌う、切なくも熱いナンバーだった。この曲を作ったとき、サンプラザ中野は30歳だった。
そして今年。その曲を作った本人が、45歳を迎えていた。バブルはとうに弾け、右を向いても左を見ても明るい話題がなく、出口の見えない暗闇のような時代の中、ニューヴァージョンでリリースされた『45歳の地図』で曲の主人公が返せと叫ぶものは、「青春」ではなく「仕事」だった。
それが、時の流れというものの残酷で正直なところなのだと思っていた。かつての憧れのスターは45歳になり、かつてのファンだった少年少女たちはいい年をした「オトナ」になっている。私だって例外ではない。立派かどうかは知らないが、年齢だけは無駄に重なった「オトナ」だ。悲しいことでも嬉しいことでもなく、それが厳然と自分の前に突きつけられている「現実」である。
だから、正直なところ私は、それほど過大な期待を抱かずにライブの日を待った。ただの同窓会的なテイストの緩いライブ*1を見せられて、失望と後悔を深くすることすらも、ある程度は織り込み済みのつもりだった。そんな気持ちで私はコマ劇場に足を運んだのだ。
客席は、9割方は埋まっていたように思う。7年ぶりに感じる、ライブが始まる前の会場全体を包む高揚感は、かつて私が感じたものとほぼ同質なものではあった。しかし、異質だったのはやはり年齢層である。若い世代もいたとはいえ、目に付くのは30代から40代と思しき世代だ。無理もない。デビューから21年、『Runner』のヒットから18年、直近のヒットである『旅人よ』からでさえ9年も経っている。男性だったら会社では部下の数人もいるであろう、女性だったら小学生ぐらいの子供もいるかもしれない。そんな客層だ。現に私の隣は子連れだったのである。
だが、アナウンスの声にはじかれて、興奮は波のように会場に広がった。
名曲『月光』で幕を開けたステージは、7年分の曲折を経てはいながらも、かつての爆風スランプと変わらぬバンドが我々の前に立っていることを伝えてくれた。45歳になった彼らのプレイは、時の流れが残酷で正直で、しかしそれが大した意味を持たないこともあるのだということを雄弁に物語っていた。切ないギターのイントロの『月光』を浴びたオーディエンスは、自分がいちばん爆風スランプを愛していたそれぞれの時代を取り戻していった。私もそうだった。いちばん爆風スランプを聴いていた中学生、高校生だった頃の気持ちが自然に自分の中で解凍されていく。それなりに楽しいことや嬉しいこと、辛いこともあって、でも結局は結構平凡で、しかし私にとってはかけがえのない時間と記憶。それは爆風スランプとともにあったし、爆風スランプとともに蘇ってきた。
ステージが進み、いくつもの懐かしい曲が演奏される。しかし45歳の彼らから押し寄せてくるその楽曲はただの懐古ではなく、45歳の爆風スランプの、現在のミュージシャンとしての到達点を見せてくれるものだった。そのことも、嬉しかった。ただの同窓会ではない。私の懸念はただの杞憂として、真冬の歌舞伎町の片隅に紙屑のように捨てられた。
ライブのさなか、ふと客席の他のオーディエンスを見てみた。自分も含めた、もはや「いい年」の部類に入ったたくさんの人たちが、声を張り上げ、腕を振っている。曲に合わせたお約束の振り付け*2を、ちょっとずつ思い出しながら、あるいは発揮するのを待ち兼ねたように披露している。そのことに、すごく胸が熱くなった。今まで、いろいろなライブに行ってきたが、他のオーディエンスのことを気にかけることなどなかったし、連帯感のようなものを持つこともなかった。でも、その夜は違っていた。だから私も、負けないように力強く腕を振り上げた。
私たちは、みんな、爆風スランプが好きだ。それが答えだった。
アンコールの1曲目、「皆さんに、長いこと愛してもらっている曲をやります」とサンプラザ中野は切り出し、『大きな玉ねぎの下で』を歌った。熱いものがこみ上げてきた。

あの大きな玉ねぎの下で 初めて君と逢える

そして、あの大きなコマ劇の下で、私は再び「君」と逢えた。「玉ねぎ」よりはだいぶ小さいけれど、再び、「あの日」の「君」と。
正直、逢うのが恥ずかしく、照れ臭く、そして怖くもあった。「君」があの頃思い描いていたような男に、いまの私がなれていたかどうかは自信がないけれど、それでも28歳の私は、「君」に逢いに行くことができて幸せだったと思う。
今夜も「君」に逢おう。そして、「さよなら」とは言わないで別れてこよう。
大きなコマ劇の下で。



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*1:最近TVに登場することの多い、「80年代アイドル」たちの醜悪さを見よ。

*2:いわゆる「オタ芸」である。