助手席の思い出

先日『ダウンタウンDX』を見ていたら、アグネス・チャンが「家族以外の異性が運転する車の助手席に乗ることは浮気とみなす。だから私は、夫以外が運転する車では助手席には乗らないし、夫にも乗らないようにさせている」という旨の発言をしていた。
その是非はともかく、確かに昔は異性を助手席に乗せる、あるいは異性の運転する車の助手席に乗るというのは特別な意味があったような気がする。なかったっけ? みうらじゅん氏は名著『D.T.』の中で、異性を助手席に乗せることについてこう語っている。

彼女が男友達のクルマに乗ったっていうだけで「やられたのか!?」って思ったりするもん。
(中略)
男のクルマに乗ったって聞いたら「ちゃんと後ろに乗ったか!?」って、タクシーじゃないんだから(笑)。でも助手席に乗ったってだけで、ものすごく嫉妬したよね。

そんなのありえない、と一笑に付されるだろうか。しかし、私は幾許かの共感を禁じ得ない。この裏返しの感覚、すなわち「助手席に異性を乗せる=ムフフ」「助手席に異性が乗った=こっちのもの」という公式は、未成年で無免許でD.T.だった頃の私には、エレガントで奥深い、神秘の数学的真理であったのである。「茶太の愛した数式」である。そのせいか、私の記憶は80秒しか持たない。「秒」かよ。
もう10年ほど昔、車の免許を取ったときに「これさえあれば、まだ見ぬ未来の『素敵な女の子』を助手席に乗せ放題だぜ、ウヒョヒョ」と思ったことがある。もちろんのこと、免許を取ったからといってそんなに簡単に乗せ放題にできたわけではない。過去に戻って、夢見ていたあの頃の自分をひと思いに殺してやりたいと思う。なるべく苦しまない方法で。
しかし、そんなことを知る由もない当時の私は、それでも女性を助手席に乗せる日を夢見ていた。待ち侘びていた。どんなトキメキが、そこには待ち受けているのだろう。2人っきりで車内なのだ。彼女は私の運転に全てを預けるのだ。私の鮮やかでジェントルでテクニカルな運転に彼女は魅せられるのだ。どうしよう、ハンドルは上手くさばけても、あの娘のじゃじゃ馬っぷりまではさばき切れるだろうか。車線ははみ出さないけれど、男としての一線もはみ出さないでいられるだろうか。駐車はきれいにカースペースに収められても、自分の気持ちは治められるだろうか。「バックで入れてください」「バックでお願いします」という駐車場の注意書きはあれでいいのだろうか。
そして神様はそんな私にも、肉親以外の女性を助手席に乗せるチャンスを下さった。それは大学生のとき、私がゼミ長を務めるゼミの合宿で河口湖の山荘に出かけた折だった。朝食を終え、午後までの自由時間、ロビーでくつろいでいると後輩の女子*1が思いつめたような顔で私のところにやってきた。
「あの、一斗さん。車、出してもらえませんか?」
え、何? それは口とかから車を出す曲芸をやってみせろっていう意味ではないよね? 「車を運転してくれ」という意味だよね!? おいおいおい、そんな急に言われても茶太の水冷式エンジンはまだ準備ノーよ!? ウソ! ホントはいつでも準備OKさ! しかし意外だなぁ、ノーマークだったこの子が、私に気があったなんて。私のどこがよかったんだろう。やはり顔? いや、外見? もしやルックス? まぁそのへんは車の中でゆっくり訊けばいいや。ウフフ。心臓はバクバクだが、平静を装ってうけ合う。
「うん、いいよ。どこに行きたいの?」
「どこか、この近くの病院に…」
「病院?」
「○○さんが、なんか体調が悪いんだって…」
というわけで私は数分後、蒼い顔で脂汗を流しウンウン言っている別の後輩を助手席に乗っけ「大丈夫? もうすぐ着くから」と励ましつつ、近所の病院へと車を走らせていた。私の「『異性が助手席』デビュー」は「アッシー(死語)」だったのである。
その後輩が何で体調が悪くなったのかはもう忘れてしまったが、結局彼女は合宿の途中で帰ってしまった。ほろ苦い、っていうか普通に苦い青春の思い出である。
皆さんにはどんな「助手席の思い出」があるだろうか。助手席に乗った乗せた、乗られた乗せられたといったエピソードがあったら、お気軽に書いてみてください。
ところでその2年後、私は後輩を運び込んだ病院を経営している某法人に就職することになるのだが、それはまた別のお話。



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*1:ちなみにそのゼミのゼミ生は、8割以上が女子学生だった。