一生一升

折りに触れて語っているところであるが、私は「ご飯」が大好きである。米飯だ。白めしだ。そして、どんなおかずであっても、たいていはそれで、文句を言わずおいしくご飯がいただける。私にとって、おかずにならない食べ物などない。「おかず道四段」である。「おかずバカ一代」なのである*1。そして私は、今日も「おかず道」に勇往邁進し、ワシワシ米を食っている。押忍!
以前、確かG7+1さんが語っていて大いに感銘を受けたのだが、「おかず道」の基本にして極意は「おかずをご飯にのっけて食べること」なのである。即ち、気取った会席料理などで最後の〆として「椀と香の物でご飯」などというのは、それまでに出てきた、料理人さんが心を込めた仕事で作ってくださった料理への冒瀆以外の何物でもない。うまいものがあったら飯! 四の五の言わずに飯! おかずを乗っけた飯! そして左脇からえぐり込むよに食うべし! 食うべし! 食うべし! なのである。押忍!
そして、そんな「おかず道」を究める者が必ず達成しなければならないとされている修行が「一生一升」である。即ち、一生のうち、一度でいいから一人で一升飯をいっぺんに平らげるという修行だ。これは、力士とかジャイアント白田などの職業に生まれつかなかった者にとってはなかなかに厳しい修行といえるだろう(「ジャイアント白田」って職業だったの?)。かくいう私も、恥ずかしながら未だ達成に至っていない。内容としては、とにかく米を一人でいちどきに一升平らげればよく、例えばカレーで達成してもチャーハンで達成してもよい。なので手っ取り早いのは「CoCo壱番屋」のカレーであろうし、私が通っていた大学の近くの「神楽坂飯店」という中華料理屋の大食いチャレンジメニューにはその名もズバリ「一升チャーハン」というものがあった*2
しかし、真の「おかず道」求道者にとっては、やはり「ピン」での達成を目指したいところであろう。つまり、「たった一品のみのおかずを頼りに、一升飯を食らう」というわけだ。そう、俗に言う「もうこれさえあれば、白めし何杯でも食える」というアレである。ところが、これも思ったほど単純でない。自分の大好物を無邪気にチョイスすればよさそうな気もするが、途中で飽きてしまったり、たくさんのご飯を食うのには向かないおかずというものもあるからである。たとえば鳥の唐揚げで一升、となると一升食う前に、唐揚げで腹が膨れてしまうわけである。やはりここは、シンプルなもので行った方が無難である、というのが先達の忠言だ。ちなみに言うと、江戸時代の文化14年(1817年)、両国で催された「大酒・大食い大会」の記録によれば、三河島の三右衛門という人物は「飯の部」で優勝したが、平らげた米は茶碗で68杯だったそうな。茶碗の大きさがどの程度かはわからないが、大ざっぱに考えてだいたい三升四合を食った計算である。おかずは「醤油二合」だったそうだ。剛毅である。これは極端にしても、一升飯という高い頂に挑戦しようというものの命綱たる「ピン」のおかずは、シンプルなものに超したことはないことはおわかりいただけるだろうか。この選択は重要である。「一生一升」を成し遂げられるのか、それとも白めしの山で遭難するかの瀬戸際だからだ。
私自身はまだ修行が足りず、すぐにでも「一生一升」に挑戦する機が熟しているとはいえないが、もしやるとしたら「いかの塩辛」、「鮭フレークwith醤油ちょっと垂らし」でいこうと、今のところ決めている。もちろん、他にも捨てがたいおかずはたくさんある。若い頃は「チンジャオロース」でいけると堅く信じていたし、また、私の飯友にはなめ茸の瓶詰め」という者が多い。
さぁ、諸君の「一生一升」の際の命綱、「ピン」はなんであろうか? 無論、「誰が何と言おうと自分はホイコーローで行く」とばかりに、重めのおかずで挑まんとする血気盛んな漢も大歓迎だ。「おかず道」の守り刀である「めしの友」、それさえあれば白めし何杯でも食えるというとっておきの一品を教えてくれたまえ。押忍!



一応言っときますが、冗談ですよ。「一生一升」なんて。人気blogランキング

*1:http://d.hatena.ne.jp/Chatterton/20050410をご参照いただきたい。

*2:達成できれば無料+中国酒1本プレゼント。失敗の場合実費で、6,000円ぐらいかかると思う。他にも「ジャンボラーメン3杯」「ギョウザ100個」などのチャレンジメニューがあるので、アホ大食い自慢の方は挑戦してみてはいかがだろうか。http://lunch.gcon.jp/challenge/?url=top