キン肉マンと仮面ライダー

唐突で申し訳ないが、小学生の頃、私には友達がいなかった。
別にいじめられっ子だったとか、嫌われていたというわけではない。人付き合いが特別ヘタだったわけでもないので、学校で誰とも話すことなく孤立しているなんてことはなかった。ただ、放課後の時間を使ってまで遊ぶような、気の合う友達がいなかったのだ。だから私は放課後はだいたい、まっすぐ家に帰って一人でゲームをするか本を読むか寝るか、ぐらいしかやることがなかった。当時の私がそれで寂しいと思っていたかどうかはよく覚えていない。思い出せないところをみると、特に寂しさや不満、不足を感じてはいなかったのだろう。
考えてみれば当たり前の話で、私は周囲の同級生達と考え方や志向、趣味などが全然合わなかったのだ。何しろ三度の飯より本を読んでいるほうが好きな子供で、しかも基本的に小学生向けの本はほとんど読まず、家にあった両親の本や図書館で借りてきた大人向けの本を読んでいた。というと、いかにも大人びた秀才の優等生を連想されるかもしれないがそんなこともなく、手当たり次第、当たるを幸いほぼ何でも読んでいた。だから刑事訴訟法関係の本で「『昭和の岩窟王』事件」について読んで*1義憤に駆られてみたり、母親の買った女性誌のセックス相談コーナー(ドクトル・チエコより奈良林祥が好きだったな)で、普通の小学生はまず知らなくてもいいような事柄や言葉を覚え込んだりしていた。繰り返すが小学生がである。そしてそんなことが何より楽しかった。正直に言ってしまうと、周囲の同級生は「てんで子供」で、話をしてもつまらなかったのである。また、その頃からスポーツが嫌いだったので、たまさか誘われて友達の家に遊びに行っても、みんながファミコンに興じているうちにその子の家にある本を読み耽ってしまい、「一斗くん、外にサッカーしに行こうよ」と声をかけられても「あ、僕は本読んでるからいい」と断るような子だった。これで同年代の友達を作れというほうがムリだろう。
そんなある日、さすがにいつも家で一人遊びしている息子を見て不憫に思ったのか、母親が私に懇々と諭したことがあった。先にも書いたように、別に私は友達がいないことにさほど寂しさや不満を感じていたわけではない。しかし、母親が私を心配しているのを見て「親に心配かけて申し訳ないなぁ。でも友達がいないもんは仕方ないからなぁ」とは内心で感じていた。そして、私を諭す中で母親が言った言葉を、私は未だに覚えている。
「たとえて言うなら、あんたは周りの友達が『キン肉マン』に夢中になっているときに、一人だけ『仮面ライダー』を面白がっているようなものなの」。だから、あんたも『キン肉マン』を好きになるように頑張って云々、というような意味のことを母親は続けて言ったような気もするが、そのことはどうでもよい。「キン肉マン」と「仮面ライダー」というたとえが私の中では印象的だったのだ。
私ははっとした。なるほど、と思った。私が心底好きになってしまうものは、なぜかたまたま周りとは違っていて、でもそれが他ならぬ「自分」というものなんだ、と。よくよく考えてみればそうだ。そのときみんなが夢中になっていたもの(たとえばゴムボールの三角ベースやミニ四駆など)に私はまるで関心がなかった。みんなが知っていたようなこと(たとえば屋舗やポンセの応援歌*2やサッカーのオフサイドのルールなど)は全然知識がなかったけれど、みんなが全く知らないようなこと(たとえば「カルネアデスの船板」や『俳風末摘花』のエロ川柳など)はたくさん知っていた。そのことを誇示する必要もない(まぁしたところで絶対友達には理解されなかっただろうが)代わりに、卑下する必要もない。『キン肉マン』を好きな人もいて、それは多数派なんだろうけど、私は『仮面ライダー』が好きで、少数派かもしれないけどそれが「私」なのだ。だから、周りに合わせて自分を歪め、ムリに『キン肉マン』を好きになることもない。まぁ親が心配しない程度に周りと折り合いは付けて、でも自分は自分の好きなことをして、好きなことを考えていき続けよう。それが確か、小学3年生の頃だったと思う。
その翌年頃、私はクイズというゲームに出会った。「『昭和の岩窟王』事件」もドクトル・チエコのセックス相談も「カルネアデスの船板」も、知ってて何一つムダにはならないそのゲームに魅了され没頭した結果、私は数々の素敵な出会いや経験を得たし、いまこんな仕事をしている。また、みんなが『キン肉マン』に夢中になる中、一人だけ流行に背を向けて好きなものに耽溺した結果、こんな捻くれた考え方をするようになってしまい、それをブログで書きつけていくことを通じてけっこう多くの人と知り合えた。
まぁ、結果オーライなんではないかな、と思う。母親に諭されたとき、うっかり『キン肉マン』を好きになろうとしなかった小学生の頃の自分に、「ナイスジャッジ」と言ってやりたい。




「三つ子の魂、百まで」というやつでしょうか。人気blogランキング

*1:私は小学生当時から「『昭和の岩窟王』事件」なら「『真犯人の名前』押し」ができた。私と同期の方だったら、1年生のときの「五大学対抗戦」副将戦での「吉田石松」の押しを覚えている人もいるかもしれない。

*2:地元が横浜だったので周りの子は大洋ファンが多かったのである。