カレーの市民

私が学生のときのお話。
サークルの先輩(実家暮らし。当然男)のお家に遊びに伺うことになった。最寄り駅でその先輩と待ち合わせして行ったのだが、途中のコンビニで昼食に弁当でも買おうと思ったら、先輩が「うちの昨日の夕飯のカレーでよかったらあるよ」と言う。せっかくなので、ありがたくいただくことにした。
で、お邪魔してそのカレーをご馳走になったのだがどうも違和感がある。何にって肉にだ。不味いわけでは全くない。普通の味のカレーなのだが、肉がどうも違う。コリコリとした食感だ。重ねて言うが不味かったわけではない。ただ、私が味わっているその食材は、おそらく私が知っている「カレーの中の肉」にしては珍しかっただけのことである。
「……砂肝?」
そう。どうもそれは、「砂肝」だとしか思えない食感と味だったのだ。私は砂肝が好物である。ただ、普通あまりカレーに入れるものだとは思えない。私はドキドキした。その先輩の家ルールでは、「カレーには砂肝」というのが定番だったりするのだろうか。ヘタに「○○さん、これ、『砂肝』っすよね?」などと訊いたら「…そうだけど?」と「何を当たり前のことを訊いてんだお前?」的な反応が帰ってきそうで怖かった。自分が信じて築いてきた「常識」というものが、がらがらと崩れていってしまいそうだったのだ。結局、その場では何も言わずに美味しくいただいたのだが、それから7年ばかり後に、先輩に勇気を出して訊いてみたら(私もまぁいい加減ひつこい。もちろん、その先輩のお家でカレーをご馳走になったのはそのときだけである)「よくそんなこと覚えてるな。うん、『砂肝』だったよ」とあっさり答えていただき、長年の疑問は解けたのだった。なお、その先輩の名誉のために申し添えるが、「砂肝カレー」はスリランカ料理では割合ポピュラーなメニューで、日本でもそっち系の専門店で食べることができる。ただ、日本であまりメジャーでないというだけで。
カレーという一見当たり前の料理は、しかし「外カレー」「家カレー」という概念で成り立っている。すなわち、「外食のとき食べる(プロ仕様で手の込んだ)カレー」「家でお母さんが作る、我が家のカレー」ということだ。そして、後者の「自由度」はけっこう果てしがない。なぜなら子供が「お母ちゃん、これヘンだよ。こないだ外で食べたカレー、こんなんじゃなかったもん」と言っても「あれはプロのコックさんが作ったものだからああなの」などとお母さんが答えてしまえば、子供心に「なら仕方ないか」と押し切られ、納得してしまったりするからだ。しない? 私はしたよ。聞き分けのいい子だったから。そんなわけで、もうその家の嗜好や経済事情、なんとなくの伝統などの名の下に好き放題・やり放題なのだ。だからたとえ自分の家のカレーに魚肉ソーセージが入っていようと、コンビーフが入っていようと、カニかまぼこが入っていようと、それが若干世間の常識から変わっているということに、なかなか気づけない。友達の家でカレーをご馳走になる、あるいはキャンプなどでみんなでカレーを作るという機会に初めて「あれ、砂肝は?」「え、『魚ソ』入れないの?」という形で気づく。これはちょっとショックだ。今まで自分の中で、カレーにはマストだと信じて疑わなかったものが脆くも崩れ去るのだから。
たとえば私の小学校の友達・シバくんの家のカレーには「ピーマン」が入っていた。赤やオレンジのパプリカではない。普通の「ピーマン」である。真っ茶色のしがないカレーの中に、鮮やかすぎるグリーンの色みが映えてエスニックだった。また、我が家のカレーにはもう長いこと、角切り肉でなく薄切り肉が入っていた。単に母親が角切り肉を好きでないからなのだが、私はこの差異を「外カレー」と「家カレー」のそれだと信じて、素直に受け入れていたのである。
……さて、あなたの家の「家カレー」は、「普通」だろうか?




私は「家カレー」ではジャガイモは絶対入れる派です。人気blogランキング