My sweet 湘南電車

「通勤の足」113系電車、17日を最後に首都圏から姿を消す。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060313-00000003-san-soci

一方、113系東海道線で活躍した。戦後まもなく登場した先代車両「80系」を引き継いだカラーは、沿線住民に慣れ親しまれていた。十八日からオレンジと緑のラインが入ったステンレス製車両に全面的に切り替わる。

113系といわれても鉄道に詳しくない方(私も含む)はピンとこないだろうが、要はこの電車のことだ。

俗に「湘南電車」といわれたあの車両である。
私は母親の実家である藤沢で出生し、生まれてすぐ、今でも本籍のある品川で育ち、8歳から現在までは2年半の都内暮らしをはさみつつも横浜に住んでいるという、「東海道線沿線人生」を送っている*1。だから、この車両には大変思い出が深い。あのオレンジと緑のツートンカラー。静岡のミカンと茶葉の色をイメージした、と聞いたことがあるが、本当のところはどうなのだろうか。おそらくこの電車が、私が物心ついて最初に自分が乗った記憶のあるそれだったと思う。
母の祖母(私から見れば曾祖母)が亡くなったときだから、もう25年近く前の話だ。急遽、母は私達兄弟を連れて実家に帰らなくてはならなくなった。普段、母親の実家には父が運転して車で行っていたのだが、そのときは父が仕事に行っている昼間だった。当時免許を持っていなかった母は取るもの取りあえず駆けつけることになり、品川駅までタクシーで行き、東海道線に乗ることになった。
普段、遠出(品川〜藤沢なんて大した距離ではないが、当時の私にすれば遠出だった)をするときは大抵、車だったものだから、電車に乗るという行為がとても物珍しく感じた。鮮やかなオレンジ色と、渋い深緑の色に、なぜか「旅情」のようなものをかき立てられた。「ああ、これから遠いところに行くんだな」と私は思った。ホームからは、今もまだ品川にある「ユニチャーム」のビルが見えて、子供心に「ユニチャーム」という言葉の響きが印象的だった。まだ幼かった我々には、何が起こっていて何の用事で遠くまで行くのかなんていうことはわかっていなかった。ただ、母親が「これを買ってあげるから、向こうでおとなしくしててね」といってバンダイマシンロボを私と弟に一つずつ買ってくれたことを覚えている*2。4人がけのボックスシートに私達3人は座り、弟と一緒に買ってもらったおもちゃを弄んでいると、発車のベルが鳴った。今みたいな『鉄道唱歌』のメロディではなくて、ジリリリリリリという無味乾燥な昔のベルの音だ。そのとき不意に「自分はまた、この品川まで無事に帰ってこられるだろうか」という不安が一瞬、よぎった。なぜそんなことを思ったのかはよくわからない*3。別に自分一人だけで天竺へお経を取りに行くなんて大冒険をするわけではなく、単に親と一緒に親戚の通夜に出るだけのことだったのだが、私はそんな不安に襲われた。しかし、電車は無情にも(?)ホームを離れてしまい、私はマシンロボを握り締めて、遠ざかっていくホームを見ているだけだった。
それから時は流れて私は大学生になり、今度は通学で毎日、この湘南電車に乗るようになる。横浜から東京までを何度となく往復した。時には立って、時には座って。時には勉強しながら、時には泥酔しながら。時には1人で、時には2人で。2人で? そう、2人で。
私が生まれて初めてデートした人は、私と同じく東海道線ユーザーだった。同じ学科だけど、クラスは違う女性。もう10年近く前の話だ。その子の名前をいま思い出してみようとしたが、苗字しか思い出せない。顔は何とか思い出せた。何となく乙部綾子に似ていたような気がする。まぁいいや。授業で一緒になったのがきっかけで知り合い、何度かお茶を飲んだり、一緒に帰ったりした。その子が乗り降りしていた駅は…どこだったかなぁ。確か二宮じゃなかったかと思う*4。何しろ男子校出身で女性に免疫のなかった当時のこと、そんなふうに2人でお茶だの何だのすれば、ちょっとは意識してしまうものだ。「この子、俺に気があんじゃね?」ぐらいの仄かなカン違いをしかけていたある日、帰り際に学校の正門のところでその子と一緒になった。「一斗くん、いま帰り? 一緒に帰ろうよ」「うん」てなことになり、2人で飯田橋から東京駅に向かった。東海道線のホームにはちょうど電車が来ており、ほどなく出発するというところだった。それに乗ろうとしたら、その子が私の袖を引っ張るではないか。
「一斗くん、一本、次の電車にしない?」
おおおぉぉぉっとこれはっ!? ナニ、ナニ、いまのナニ? どういうこと? そのメッセージはどういうこと? 当然私は考えましたよ。で出した結論はこちらですよ。 
「一本電車を遅らせたい→すぐには帰ってしまいたくない→もっと一斗くんと一緒にいたい。はいキタコレ! おいおいおい、それってもう半分コクられたようなもんじゃん。しかしここは慌てず気づかないフリで「あ、うん。別にいいよ」と鷹揚に応じた茶太・19歳でありましたよ。で、リクエストどおり一本遅らせて、その子と並んで座席に座りましたっ! 発車のベルが鳴って電車が動き出しましたっ! で、動き出してから探りを入れる意味でその子に「なんで一本遅らせたの?」と訊いてみた野暮天の茶太・19歳でありましたよ。そしたらその子は「一斗くんともう少しだけ一緒にいたかったから…ってバカ! 女の子にそんなこと言わせる気?」………などと言うはずもなく「あたしに二宮まで立ってけっての? 始発に乗って座りたかったから」と答えられて茶太、GE・KI・CHI・N!でありましたよ。恥ずかし紛れに「だよね、だよね、二宮って遠いもんね、立ってるのキツいよね。DA.YO.NE〜」とEAST END×CHATAになってしまったのを誰が責められましょう。とんだ独り相撲でテンションが下がった茶太だったが、電車が横浜に近づいたとき、その子が言った。
「一斗くん、今日ってこのあと何か予定ある?」
「いや、何もないけど…」
「あたし、横浜って行ったことないんだよね。ねぇ、案内してくれない?
それが私の初デートでありました。そんな思い出の電車も、明日、姿を消す。鉄道マニアではないけれど、ちょっと最後の勇姿を、ひと目でも見に行きたくなった。




横井小楠電車。人気blogランキング

*1:細かいことを言うと、都内在住当時も浜松町と田町の間ぐらいに住んでいたので、まぁその当時も東海道線沿線と言って言えないこともない(かな?)。

*2:そういえば、どこで買ったのだろう。途中でおもちゃ屋に寄った記憶などないのに。ちなみに何ロボを買ってもらったのかまではさすがに忘れてしまった。

*3:いま考えるに、多分その頃私にとって「遠出」といったら、前述したように父の運転するマイカーで、ということが多く、点と点の移動、すなわち自動車の車内という「家族のみがいる空間(=家の中の延長)」が、それごと遠くまで移動するという感覚が基本にあったから、公共交通機関で他の乗客と一緒に移動するということが、果てしなく遠くに行くかのように感じられたのだと思う。どうでもいいけど。

*4:関東地方以外のお客様へ。ちなみに東京〜二宮間はこれぐらいかかります。http://transit.yahoo.co.jp/search?p=%c6%f3%b5%dc&from=%c5%ec%b5%fe&sort=0&num=0&htmb=result&kb=NON&chrg=CHARGE&air=AIR&yymm=200603&dd=16&hh=23&m1=04&m2=02