思い出ボロボロ
弟の茶助(仮名)が7月の挙式・披露宴に向けて、いろいろと準備をしている、らしい。まぁ父親が既にない、という家だったら兄貴がいっちょ父親代わりとしてひと肌脱いだり何かする場面もあるのだろうが、両親が健在な我が家では兄貴の出る幕なんてない。せいぜい当日出席して、お祝い包んで相手の家族に会って神妙な顔をしているぐらいだ。準備までは私の与り知らぬところである。
で、私はそういう演出って個人的に興味はないのだが、まぁお約束的に、新郎新婦の子供の頃の画像や映像がドーンとプロジェクターに出て、司会のナレーションが入る、みたいなことをやるらしい。弟の趣味、というよりそういうことでもしなくては間が持たないのだろう。そんなわけで、新郎の母親であるところの千鶴子(仮名)が、弟の小さい頃の写真を探すことになった。
ある晩、私が部屋で仕事をしていると、母親がだいぶ古ぼけたアルバムを持ってきた。「これ、見てくれる…」。
めくってみると、やや色あせたカラーの写真が何枚か納まっている。産着を着て寝ている私、父親に抱かれて義理の叔父と写っている私、初節句の私、どこか池のほとりのようなところに佇み微笑む私、入園式・入学式の私……。
「って、俺のばっかりじゃんか」。私は言った。
「…そうなの。茶助のがないの」
まさか。どうせ、整理が悪いから*1散逸したかどこか別のところにしまいこんで見つからなくなっているに決まっている。
「そんなことないよ、どっかにあるはずだって。大方、物置の奥とかにしまって忘れてるんじゃないの?」と言うと、母は言った。
「ううん、よく考えたら、茶助の写真ってあんまり撮ってないの」
つまり、待望の第一子であった私は、まぁ親の目から見て余計にかわいく感じられたので結構写真を撮ったが、第二子である弟のときは、第一子のときほどテンションが上がらなかったので、あまり写真が残っていないのだという。むろん、全くないわけではなく、ちょっとはあるのだが少なかったり私とのツーショットだったりして、幼い頃の写真は、披露宴のスライドの尺を満たすほどなかったのである(小学校以降の写真は普通にあるらしい)。えー、うそ〜ん。個人的に私は、自分の写真が残っていようがいまいがどうでもよい性質*2ではあるが、弟はどうかわからない。まぁ弟もそうだとしても、やはり自分の写真が残っていないというのはテンションも下がるよなぁ。「♪古いアルバムの中に隠れて思い出が」何にもないんですもの。「♪古いアルバムめくり『ありがとう』って」呟けませんよ。そりゃ思わず『涙そうそう』ですって。
「…で、どうすんの?」
「どうしよう……。『水害で流された』*3ってことにしちゃおうか?」
うわ、なんだそれ。「逆『岸辺のアルバム』」じゃんかよ。弟よ、めげずに立派な式を挙げてくれ。