馬に蹴られて死んじまえ

二十数年以上前のある日のこと。私は近所に住んでいる幼なじみのあっちゃん(男の子)の家に遊びに行った。あいにくその日、あっちゃんはいなかったのだが、私はあっちゃんのお母さんに呼び止められた。
茶太くん、動物園行かない?」
私としては、あっちゃんがいなかったので家に戻って一人で遊ぼうと思っていたのだが、なにぶん気が弱く大人しい子だったので、イヤといえないまま曖昧な態度を取っているうちに、なぜか動物園に連れて行かれることになってしまった。しかも、私を連れてってくれるのはあっちゃんのお母さんではないという。
私を連れてってくれるのは、あっちゃんの叔母さん(あっちゃんのお母さんの妹)ということだった。これを書いている今でも、その人の名前や顔は、丸っきり全くなんにも思い出せない。当時20代前半から半ばだったはずのその叔母さんは、あっちゃん一家と一緒に住んでいたのだが、普段は勤めに出ていたのか、私はほとんど顔を合わせたことはなかった。ともあれ気弱で人見知りな私が、よく知らない女の人と、あっちゃんもいないのに別に行きたくもない動物園に行かされるという、自分史上でも指折りのめんどくさい事になってしまった。行く前からテンションどん底である。
話はここで終わらない。なんともう一人、見知らぬ男性(もちろん顔も名前も覚えていない)が一緒に来るという。ここまで来たらもうどうにでもしてくれ、と思った。叔母さんすらよく知らないのに、当時の私がもう一人の見知らぬ男性のことなど詮索する余地もない。取って食わなきゃ誰でもいいよ、ってな気分だ。そのようにして私は、よく知らない女性と全く知らない男性に連れられて、動物園に行く破目になったのである。
肝心の動物園の思い出は皆無に等しい。行く道中、現場、帰途、全ての記憶がない。交通手段さえ思い出せない。辛うじて、「何だかわからんところに誰だかわからん人と行った」というぼんやりとした記憶だけだ。
それからずっとずっと後に、何の気なしに母にそのことを語ったら「ああ、あんな昔のこと、まだ覚えてるの」と言われた。
タネを明かせば、それは叔母さんのデートであったのだという。「若い娘さん」に何か間違いがあってもいけないということなのか、それとも内心ではあっちゃんのお母さんがその交際に賛成でなかったからなのか、詳しくはわからないが、私が「お目付け役」ということで同行することになったのだという。そんならあっちゃんが行けばいいじゃんかよ、という話だが、あっちゃんはガキ大将でやんちゃだったので、大人しい私が連れて行かれることになったのだそうだ。もしかしたら、それは叔母さんの交渉の結果だったのかもしれない。「もしどうしても連れて行けっていうんなら、あつしじゃなくて茶太くんじゃなきゃやだ」みたいな。
ともあれ私は自分でも知らぬうちに、デートのお目付け役兼おじゃま虫兼コブとして2人に同行することになっていたのである。その事情を知ったとき、自分の記憶がまるで残っていないのが返す返すも悔やまれた。だって他人のデートに堂々と密着同行するなんて、今後まず絶対にできない経験だもんよ。
しかし大人になってそれなりにデートもするようになった今、全く何の関係もない子供をデートに連れて行かされたその男性の気持ちを、ちょっと考えてしまう。だって「彼女の弟の友達」がついてくるんだぜ、あり得ねえだろ。名も顔も知らぬお兄さん、その節はすんませんでしたねぇ、野暮なことして。こっちもしたくてしたことじゃなかったんで、まぁひとつ。
ちなみにその男性と叔母さんは結局別れたそうだが、私のせいではなかったと思いたい。




確か東武動物公園だったと思うんだけどね。人気blogランキング