桂近視

私は視力が悪い。両親も悪い。きっと遺伝だ。あるいは子供の頃の私は、周囲がちょっと引くくらい本を読むのが好きな子だったので、読書による目の酷使が近眼の到来を招いたのだろう。多分、そうだと思う。
中学1年のときに初めて眼鏡を作った。高校2年のときにコンタクトレンズにした。だからもうかれこれ15〜16年は、何らかの視力矯正器具を手放さないで生きている。 視力自体は、もうだいぶ測っていないが、たぶん0.3前後ぐらいではなかろうか。だから、私よりも視力が悪い人はざらにいるはずだ。しかし、コンタクトレンズを一日中着けて過ごすと、実感としての視力は低下する(ような気が、経験上する)。私より数字上の視力が悪くても、意識的に自分の眼を使うようにしている人の方が、きっと裸眼での見え方には差があるのではないか。医学的根拠はないと思うが、私はそう感じている。
で、私は近視の上に乱視でもある。これが面倒くさい。以前mykissmykissさんも書いていたが、テレビなどのパイロットランプを裸眼で見た日にはまさに「打ち上げ花火」である。夜空の月なんざ、余裕で3つ4つは出てくれる。
海外に10日間ばかり旅行に行ったとき、ケア用品を持ち歩くのがいやだったので、初めて1日用の使い捨てコンタクトレンズを作った。だが、当時は1日用で乱視が矯正できるものがなかったので、私はやむなく近視の度のみが入ったコンタクトを持っていった。書類を読んだりPCの画面を見たりする必要のない旅行中は何ら不都合を感じなかったが、帰国し余った分を着けて仕事をしたら気分が悪くなった。意外と乱視ってのもバカにできない。
そんな私だから、裸眼で外出なんてもう思いもよらない。ほとんど自殺行為だ。しかし、学生の頃、どういう理由であったかは忘れたが裸眼で外出した日があった。その日は雨が降っていた。
悪い視界の中、注意深く通りを出歩き、バスに乗った。信号待ちで停まったバスの車内で窓から外を見ていると、道路の先に、この雨の中ものすごくド派手な真っ赤っかのジャージを着て、突っ立っている人がいる。
「なんだ、あの人? こんな雨の中を、なんでわざわざ立ってるんだろう。しかしすげぇジャージだなおい」。
バスが動き出した。車は、その真っ赤っかな人に少しずつ近づいていく。そして、その人の傍を通り過ぎたときに私が見たものは。


ポ ス トだった。


眼は大切にしたほうがいいですね、というお話。
皆さんは、視力はいいですか?




「桂らん枝」って落語家はいないんだね。人気blogランキング