点と線

宮本輝に『優駿』という小説がある。むかし、斉藤由貴と緒方直人主演で映画化もされた作品なので、ご存知の方もいるかもしれない。私は原作・映画とも未読・未見なのだが、タイトルから察せられるとおり、競馬を題材にした作品だ。「優駿」というのは「特に優れた競走馬」という意味である。
その作品の中に出てくる競走馬は、「オラシオン」という名前だった。スペイン語で「祈り」という意味である。なんで原作も映画も見ていない私がそれを知っているかというと、当時その映画のCMで斉藤由貴が(緒方直人だったかな?)「オラシオン」の由来を、そのように語るシーンが流れていたからである。
もちろん、その頃の私はクイズをやっていない時期だったので、私がそれを「クイズ的に」チェックしてわざわざ覚えていたわけではない。ただ、子供の頃からなぜかそういうことを自然と覚えてしまう性質だった、というだけのことだ。
それから15年ほどのち。私はメキシコに旅行に行った。
首都メキシコシティの中心に位置するソカロという広場に面した大きな教会、メトロポリタンカテドラルに出かけたある夕方のこと。教会の中には、誰でも自由に入ることができるのだが、そのときは中でミサが行われていた。
女性の牧師が、マイクを通した大きな声で説教をしているのだが、教会の壁画やステンドグラスをぶらぶら見ていた私の耳の中に、牧師がこう叫んでいるのが聞こえた。
オラシオンオラシオン
言うまでもなく、メキシコはスペイン語圏だ。その瞬間、私の中で、15年前に特に意味もなく覚えた、「オラシオンスペイン語で『祈り』」という知識がつながった。そうか、あの牧師は「祈りなさい、祈りなさい!」と言っているのだな、きっと。スペイン語どころか英語の心得もない私だが、そのことを理解した。
原作を読んだり映画を観たという人でも、「オラシオン」が「祈り」という意味であるなんてことまで覚えている人は、もしかしたらそう多くはないかもしれない。だけど、そんなことをムダに覚えていたおかげで、15年ものちの、しかも遠いメキシコの地で、そんなふうに自分の知識の点が、線としてつながる瞬間を私は感じた。私は教会の中で独り、なんともいえない秘かな自己満足に浸っていた。牧師の説教はまだ続いていた。
そんな、点と点が線としてつながる瞬間は気持ちいい。それがある限り私は、たとえクイズをやめてしまうことがあるとしても、ものを知っていくことはやめないだろう。死ぬまで、自分にとって何かしら面白いことを求めていくような気がする。他の人にとってはどうでもいいことでも。
結局のところ、「役に立たない知識を得る」というのはまったく無駄なことである。しかし、「無駄」というのは「贅沢」の別名ではないだろうか。




ギリシャに行ったときは高速の出口に「エクソダス」と書いてあった。人気blogランキング