チャンジャの思い出

最近では割りにおなじみで身近になった韓国料理に、チャンジャがある。ご存じない、食べたことがない、という方もいらっしゃるかもしれないが、要は「タラの胃袋の塩辛」だ。塩辛、といっても韓国のものなので、日本のいかの塩辛やかつおの塩辛みたいなものではなく、キムチっぽい、唐辛子の味つけになっている。焼肉屋や韓国料理屋だけでなく、最近は居酒屋でもよく見かけるが、実際、ビールのあてには手ごろでよい。私も好きでよく食べる。
私が初めてチャンジャを食べたのは、今から9年ほど前のことだった。
当時大学1年生だった私は、諸事情により、栃木県の自動車学校に一人で合宿教習に来ていた。私が寝起きしていた宿舎の部屋は4人部屋だったのだが、その部屋の中に一人、ミツイさん(仮名)というヤクザがいた。
ヤクザ、といってもいかにもそれっぽい、任侠風のおっさんではない。見た感じは普通のあんちゃんという感じで、年はおそらく、まだ30代前半ぐらいだったはずだ。しかし、シャツの袖からは立派な彫り物がちらりと見えていた。同部屋の他の2人は、のび太そっくりの冴えない学生*1と、友達と一緒に教習に来ていたが、たまたま自分だけ別の部屋になってしまった高校生で、ろくに話も合わなかったのだが、ミツイさんとだけは、私はときどき話すことがあった。
しかし彼は、学科教習と実技教習の時間以外はほとんど宿舎にいることはなかった。宿舎内には食堂があって教習生は三食そこで食べるのだが、彼は一度もそこでは食べず、夜になるとどこか外へ消え、適当に酒なぞを飲んで門限ギリギリに帰ってきた。時には門限を過ぎても帰ってこないこともあった。
ヤクザとはいっても、普段の物腰はそんなに怖くない。ある日、私が夜、一人で部屋にいると彼が戻ってきて、「にいちゃん、シャワーの場所ってどこかな?」と訊かれた(宿舎には、大浴場とは別にコインシャワーもあったのだ)。「廊下のつきあたりですけど、まだこの時間だったら大きい風呂に入れますよ」と答えたら、彼は「知ってるけどさ、コレがあるもんでさ」と、腕をまくって自分の彫り物を指差した。なるほど、と私は感心した。そんなこんなで、私と彼は、2人で部屋で酒盛りしたり話をするようになった。時おり彼は、近くの飲み屋で自分が頼んで食べていたつまみの残りなどを部屋に持ち帰って、私に分けてくれた。ビールやチューハイなどは宿舎内の自販機で買えたから、取り留めのない話をしながら飲んだものだった。
「ミツイさんは、なんでここに来てるんですか?」
酒の勢いもあって、私は「ヤクザが教習所て…w」という自分の疑問を率直にぶつけてみた。
「あぁ、酒飲んでシャブ打ってスピード違反と道路の逆走やっちゃってね。免許取消になっちまったんだよ」
そこまでやって、再び免許を取ることができるものなのかどうか知らないが、ちょっとだけ緊張感を取り戻して私は酒を飲んだ。
しかし、驚くのはこれからだった。話の流れの中で、彼は耳を疑うような事実を私に語った。
「にいちゃんて大学生だしインテリだろ。○○大の××って教授知ってるか?」
××といえば、文学部生の私でも名前を知っている、刑事訴訟法の権威として非常に有名な教授だ。そんな名前が唐突に彼の口から出たことを、私は少し不思議に思った。
「えぇ、僕は法学部じゃないですけどさすがに名前ぐらいは知ってますよ」
「そうか。あれ、オレのじいちゃんみてぇな人なんだよ」
「は?」
なんと、彼の両親はともに弁護士だそうで、その○○大の××教授のゼミで知り合ったのだという。結婚の際の媒酌をつとめたのがその××教授で、その縁もあってミツイさんは彼に孫のように可愛がられていたのだそうだ。
弁護士の息子がヤクザ、というのもにわかには信じられない話だが(というか、それでは親の仕事にもろに支障が出るだろう)、本人がそう言うんだから信じるしかない。さらに彼は自らの経歴を語った。
「オレもね、子供の頃はちょっとだけ勉強できたんだよ。ただ、高校に入ってちょっといろいろイヤんなっちゃって、落ちこぼれちゃってさ」
彼は、とある県の出身なのだが、県内にある国立大の附属中を経て、県下トップの進学校である某高校に入っていた*2。しかし、そこでドロップアウトして中退し、現在のようなことになっているというのである。
なんだかマンガか映画みたいな話である。正直、眉唾な気がしないでもなかったが、インパクトは十分だった。酒を飲みながら聞いている分には、まぁ楽しい部類の話である。へぇ、ほぉ、などと相槌を打つ合間に、私は彼にもう一つ訊ねた。
「ところでこのつまみ、何ていうんですか? うまいっすね」
「チャンジャだよ。食ったことない?」
そんなわけで、私はチャンジャを食べるといつも、ミツイさんのことを思い出す。
ある日、彼は学科の仮免検定試験を受けるのに、私に筆記用具を借りた。私は自分のシャーペンを貸したのだが、たまたまそれには私の大学のロゴが入っていた。
「お、にいちゃんの学校の名前入りか。インテリのにいちゃんにあやかるかな」などとお愛想を言って彼は部屋を出て行ったが、帰ってくるなり「にいちゃんのペンのおかげで、合格できたよ」と礼を言った。いや、ミツイさん。あなたの通ってた高校だったら私の大学なんて余裕でどうにかなったはずだよ、という言葉を飲み込んで、私はペンを受け取った。
私は日程の関係で彼よりも早く卒業し、宿舎を引き払うことになった。最後に一言、奢ってもらった酒やつまみの礼を言おうと思ったが、彼はまたどこかに飲みにでも行っていたのか、教習所を抜け出して戻ってこなかった。結局、お別れをいうことはできなかった。
だから、私はチャンジャを食べるといつも、ミツイさんのことを思い出す。




「牛角」のチャンジャが好き。人気blogランキング

*1:マニュアルで取りに来ていたが、教習時間をオーバーしまくって卒業の見込みが立たず「一斗くん、ボク、どうしたらいいかな?」と相談された。ある日、私が教習を終えて部屋に戻ると「一斗くん、やったよ! ボク、いまからオートマ限定で教習やり直してもいいんだって!」と喜んでいた。

*2:当ブログの読者様に、彼と同じ中・高の出身の方がいる。