春の味、大人の味

今日、ふきのとうとたらの芽の天ぷらを食べた。ふきのとうやたらの芽の風味に、気候だけでなく味覚的にも春が近づいてきたのを感じたわけである。
しかし、ふきのとうやたらの芽を食べて「おいしい」と感じられるというのは、ちょっとオトナな味覚ではないだろうか。冷静に分析すると、ふきのとうやたらの芽の「おいしい」は、八割がた「ほろ苦さ」と「香り」でできていると言ってよい。子供は苦いものなんてわざわざ食べないし、匂いが強いものも多分苦手だろう。「今日の晩ご飯、なぁにー!?」とお腹ペコペコで外から帰ってきた小学生の子に、「ふきのとうの天ぷらだよ」と母親が答えたときの子の落胆ぶりは、割合容易に想像がつく。
そういった苦いものとか、ちょっと複雑な風味のものを食べられない大人を、「味覚が『お子ちゃま』」とからかう向きがある(主として私だが)。ところが、何かで読みかじったうろ覚えのことなのだが、大人が苦いものを味わうことができるようになる、というのは味覚的には「退化」であるらしい。子供の頃というのは、いろいろ誤食・誤飲をしてしまいがちで、人体に有害なものも口にしてしまう危険があるので、そうしたものをすぐに吐き出すことができるよう、「苦味」に対して鋭敏なのだそうだ*1。それが大人になるにつれ、徐々に「苦味」の味覚が鈍磨していき、ちょうどよい具合に苦いものを味わうことができるようになるのだという。調べたわけではないので真偽のほどは知らないが、もっともらしい説だ。ということは、苦いものが苦手な大人は、確かに「お子ちゃま」の舌ではあるが、しかし味覚的には先鋭化している、ともいえるということになる。なので、苦いものが苦手な方は、今度からはからかわれたらそう言い返してやればよろしい。まぁ、他人の味覚をとやかく言う奴がいちばん「お子ちゃま」ではあるのだが。
ところであんまり関係ないけど「ほや」なんてものは、もう「酒のあて」にするべく神様がつくりたもうたものとしか思えない。言うまでもなく私は酒飲みで、そして言うまでもなくほやも好きだが、下戸でほやが好き、なんて人は相当な変わり者のような気がする。もしいたら謝るけども。




ビールも「苦いから」と敬遠する若い女性が多いね。嘆かわしい。人気blogランキング

*1:逆に、母乳などのような成長に必須なものを積極的に食べられるよう、「甘味」の味覚はいつまでも鋭敏なのだという。