もっともっともっと

私は、街中で偶然有名人を見かけると、その目撃報告をよくこのブログで書いている。基本的にミーハーなところがあるのと、自分のための備忘というか、そういう記録をつけてあとで見返すのが好きだからだ。
で、もうけっこう前に中目黒の駅頭で俵万智を見かけたのだが、そのとき一緒にいた友人は誰も気付かなかった。彼女が去った後「いま歩いてったの、俵万智だったよね?」と私が連れに言うと「え、そんなの全然気付かなかった」「というか、俵万智って言われても顔まではよくわからない」と返された。確かに、TVによく出ている芸能人というわけではない人だから、興味がなければ気付かない(というかそもそも知らない)かもしれない。
逆に、友人たちと繁華街を歩いていて、偶然にとあるサッカー選手を誰かが目撃したときは「あ、○○だ、○○だ」と友人たちは騒いでいたが、私は「え、誰それ?」とまったくわからないことがあった。結局のところ、その人の守備範囲というか興味の問題なのである。極端な例だが、野球にまるっきりまったく疎い人は偶然街中でイチローを見かけても気付かないことだってあるだろうし、お笑いをまったく見ないという人なら松本人志にばったり出くわしたとしてもスルーしてしまうだろう。そういうことだ。
昨日、とある女性とお会いする機会があった。その方は、あるジャンルのお仕事をされている方なのだが、そのジャンルの中ではかなり有名な方であるという。私の知人にはそのジャンル方面に詳しい人間が割りに多いのだけれど、そういう人間にその女性の名前を出せば、一発で通じるほどの方だそうだ。不勉強ながら私はそのジャンルにほぼまったくといっていいほど詳しくないので、「あ、はじめまして。一斗と申します。よろしくお願いいたします」的な感じになり、単なる、割とよくある初対面になってしまった。しかし、もし私がそのジャンルに、精通とまではいかなくてもかじる程度の知識を持っていたなら、「へぇ、これがあの有名な○○さんか」といった感動や感慨、ちょっとした興奮が味わえたのに、と思うと、なんだかちょっともったいなく思えた。
趣味でクイズを解き、仕事でクイズを作るようになって、私の持っている知識自体は普通の人より若干は増えた。しかし、もちろん、苦手な分野や詳しくない分野は存在する。今回その女性がお仕事をしているジャンルもそんなものの一つだった。私は思うのだが、「ものを知る」「知識を増やす」というのは、知識をひけらかしたり、知識そのものを何かの役に立てるのが目的なのではなく、畢竟、こういった場合に、自分自身がもっと面白がり、もっと楽しめるようになるのがいちばん大きな目的なのではないか。それは、人と会ったときに限らない。美術館で、旅先の都市で、散策している山で、いろいろな場面で、自分の知っている知識が、目の前に出会った事象と結びついて、知的な感動や興奮や興味をかき立てる。そしてそこから、何か新しい発見や発想が生まれるかもしれない。
昔、ある作家が「教養とは『暇つぶし』ができる力のことだ」と言ったが、そのこともこれとつながってくるだろう。バックボーンとして持っている、世の中のあらゆる物事に対して退屈せずに接することができるだけの知識。それを「教養」というのだ。
そういう意味で「教養」を身につけるのはとってもとっても難しい。難しいけれど、できることなら私はもっともっともっといろいろなことを知りたいし、吸収したいと願う。それは楽しくもしんどい。しかししんどくも楽しい。




当ブログの読者様にも、その方のファンという人がいそうな気がする。人気blogランキング