恋の痴態

いきなりで恐縮だが、本質的に、恋愛(というか、恋愛をしている人の姿)というのは醜くて、えげつなくて、稚気まるだしなものである、と私は思っている。決して美しかったり、崇高だったり、といったようなたぐいの代物ではない。むろん、それは自分自身についてだって例外ではないのであって、単に「他人のオナラの臭いはガマンできないが、自分のオナラの臭いはまだ許せる」というのと変わらない。それだけの話なのだ。
それはわかっていたのではあるが、最近、すごく胸糞が悪くなるような、下賤というか、下劣な「恋愛」の話を目にした。昔の知人女性(いまはもう疎遠になっている。連絡は取っていないし、取りたいとも思わない)がブログで書いていたのだが、どうも近々、結婚するらしい。その結婚に至るまでの過程を読んで、胸が悪くなったのだが。
正直、その女性が結婚できるということ自体が私にとっては大変な驚きなのだが(「よくもまぁ、あんなのとするのがいるなぁ」というのが率直な感想である)、その結婚に至るまでの過程が「…はぁ?」という感想を持つ他ないようなものだった。先に「下劣な『恋愛』の話」と書いたけれど、「恋愛」という呼び名も与えたくない、値しないような、ただただ愚劣な「関係」でしかなかった(と私は思う)。誤解のないように言っておくけれど、それはいわゆる「不倫」だとか「浮気」だとか「略奪愛」といったようなものではない。他人から後ろ指さされるようなものではないが、それでも醜くえげつないものだった。恋愛は本質的に醜くえげつないものであるが、この醜さやえげつなさは、だとするならば、その女性の人間性、本性の部分なのだろう。
彼女は「恋愛」以外のなにか(同情なり、性欲なり、独占欲なり)を「恋愛」だとカンチガイして、他人からしたら「男なら誰でもいいんだろ」としか思えない自分の心性と行動を正当化したうえ、しかし形の上では「結婚」に他ならない「手続き」を、これからするのだろう。故人まで巻き込んだ、「悲劇のヒロインごっこ」の果てに。せいぜい図に乗って、満足しているがいい。
恋愛は、醜くてえげつない。しかし、だからこそ「ちゃんと」しなければいけないものなのだ。





その女性の両親はどう思ったのかなぁ…。人気blogランキング