台風の記憶

30年以上も前、子どもの頃の私は、東京の五反田というところに住んでいた。どういうところかご存じない方も多いだろうが、家のすぐ近くを首都高速が走り、目黒川が流れているようなところだった。
で、ご覧になったことがある方ならおわかりだろうが、この目黒川というのが当時は(当時も)まぁ汚い川で、夏になると黒く澱んで悪臭がした。いつだったか、猫の死体がぷかぷかと流れて来ていて、えらい臭いがしたのも覚えている。泳ぐことなんて、もちろん思いもよらないような、泳いだら病気になってしまうかもしれないような、そんな川だった。
そしてこの川は、台風が来るとときどき氾濫した。
私が覚えているだけでも、二度ほど床上浸水があったような気がする。むろん、その頃の私は、まだ小学校にも上がらないような子どもだった。
台風が近づき、大雨が降り出してくると、父と母は運べるだけの家財道具を2階に運び上げた。幼かった私と、もっと幼かった弟は、その様子を、特に手伝うでもなく(手伝えず)、不安な面持ちで見ていた。夜になって、私と弟は先に2階で寝かされた。雨が屋根を叩く音を聞きながら、いつしか私たちは寝入ってしまった。
何時ぐらいだっただろうか。夜遅くになって、トイレに起きた私は、両親の膝のあたりまでが水に浸かってしまった1階の部屋を見た。両親は少しでも被害を減らそうと、まだ上に運び上げられそうなものを必死で階段に運んでいた。しかし、テレビや冷蔵庫、本棚などは無残に水に侵されていた。
それは、子どもの私に取って、衝撃的な光景だった。
「どうした?」。父は私に尋ねた。
「おしっこ…」。私は泣きそうになって答えた。いや、既に泣いていたのかもしれない。驚異と、恐怖と、不安とで。
当時の家のトイレは1階にしかなかった。そして、それはとうに水に沈んでいた。
「仕方ない、ここでしろ」
父はそう言って、階段の途中から私に用を足すよう促した。私はやむなく、父と母が浸かっている水の中に、用を足した。子どもだった私は、これが夢であってほしい、と強く願っていた。
昨日の台風で、そして今夏の記録的な大雨で、被害に遭われた方がたくさんいる。床上浸水のあと、めちゃめちゃになった家の中から泥を外に掻き出したり、水に浸かった家財道具を処分したりしている人の姿をニュースなどで見ると、いつもあのときの光景が浮かんでくる。そして、心からお見舞いを申し上げたいと思う。
ちなみに、それからしばらくして我が家は五反田から引っ越したが、マンションの4階になったのでひとまず床上浸水の心配はなくなったのであった。



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