漱石とイルマさん(2)

いまはどうか知らないが、私がいた当時、一般教養の授業は3年次ですべての単位を取らなくてはならなかった。つまり、4年次に持ち越すことはできなかったのだ。3年生のイルマさんは、だから、今年度で4つ残っている一般教養の単位を一つも落とせなかった。私といっしょに取っていた生命科学と、そして文学である(あとの2つは忘れた)。
「一斗くん、ニチブンでしょ? 助けてくれない?」
イルマさんにそう泣きつかれたのは、夏休み前のキャンパスのピロティでだった。まだ、誰でもかれでもケータイを持っていなかった頃の話だ。イルマさんは私に会うために、一日中、ずっとピロティで―来るかどうかもわからない―私のことを待っていた、らしい。雨が降る、蒸し暑い日だった。
イルマさんの話はごく簡単なものだった。
「文学の夏休みレポートのテーマが、夏目漱石の『夢十夜』なんだけど、なにを書いていいかわからないから、一斗くん手伝ってくれない?」
一応『夢十夜』は読んだことくらいはあったが、レポートを書けるほど詳しいか、といわれるとちょっと心許なかった。
「具体的にはどういう課題なの?」
「なんか、十篇ある中から、好きなのを選んで思うところを論ぜよ、みたいなの」
「じゃあ、楽勝じゃん」
「でも私、最初の一篇しか読んでないんだけど…」
なぜ、と理由は訊くまでもなかった。ちゃんとまじめに全篇読むようなイルマさんだったら、留年しかかったりなどしない。
夢十夜』の「第一夜」は、女が「必ず会いに行くから私が死んだら星のかけらを墓標にして埋めて、百年待ってほしい」と男に言うという内容だ。男が墓標を眺めながら、ひたすら待ち続けると、目の前で百合が咲く。それを見た男の「百年はもう来ていたんだな」という独白で終わる。
「でもこの話、意外とやっかいなんだよな」
「なんで?」
「百合が咲くところ、あるでしょ? あれの解釈をめぐってまだ論争が続いてる」
「…え? だってアレ、明治時代の小説でしょ?」
イルマさんは、驚いたような、呆れたような声を出した。私はわかったような口を利いた。
「…それがブンガクってもんなんだよ。わかんないけど」
「…わかんないのかよ。で、どういう論争なの?」
私は、かいつまんで説明した。
「最後に百合が咲いたってくだりあるでしょ? あれが女のメタファーなのかどうか、つまり男は、女に結局会えたのかどうかってことがまだ定まってない」
「どっちだっていいんじゃない?」。イルマさんは煙草に火をつけた。
「いや、よくない」。私も煙草に火をつけた(その頃は私も煙草を吸っていたのだ)。
「どっちなのかによって、この作品の主題が変わる」
「どう変わるの?」
「会えたという解釈なら『永遠の愛』、会えなかったという解釈なら『愛の不可能性』が主題になる。要は、テーマが違っちゃうわけ」
「ふぅん」。じめじめした空気の中に、イルマさんはセーラムの煙を吐き出した。
「で、一斗くんはどっちだと思うの?」
「…どっちだっていいんじゃない?」
私は軽い身のこなしで、イルマさんが投げつけてきた吸殻をよけた。



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