トクベツの味

子どものころ、私はおとうさん子だった。
一般的に男の子はおかあさん子というイメージがありそうな気がするが、私は違った(弟はおかあさん子だったが)。父親のあとを私はよくくっついていったし、父が休日出勤で出かけるときはさびしがって泣いていた(らしい)。いまの私が本を読むのがある程度好きなのは、間違いなくいつも本を手放さなかった父の影響である。
ずば抜けて上手とか手の込んだものが作れるというわけではなかったが、父はときどき料理をした。登山をやっていたし、親代わりだった祖父が亡くなってからは一人で暮らしていたから、ちょこちょこっと手ぎわよく作っていた。
特に日曜の朝などは、残りものでよく炒飯を作った。別にどうということのない炒飯だったけれど、私はおいしいと思ったし、好きだった。
そんな父が炒飯を作るのを、子どもだった私は横にくっついてよく見ていた。冷蔵庫の残り物でざざざっと作るので、肉なんかソーセージかハム よくて豚ひき肉がせいぜいだった。
父の包丁遣いを「すごいなぁ」と私がしげしげと見ていると、父はときどき「じゃあ、特別だぞ」といってハムの切れっ端を私にくれた。私はもらったそれを口に入れ、もぐもぐと食べた。おいしかった
いつも、「特別だぞ、特別だぞ」といわれてハムをもらっていたので、しまいに私は、その炒飯に入っていたりお歳暮でもらったり、伊藤ハムや丸大ハムのCMでやっている肉製品が「トクベツ」という名前のものだと思いこんでしまった。だから、「消防庁特別救助隊」とかいう言葉をニュースなどで聞くと、「なんであの人たちは炒飯の肉を救助するのかな?」と思ったりした。
もちろん、その誤解はもう少し大人になったら解けた。でも、いまだに「特別」という言葉を聞くと、私の脳裏のどこか遠くではあの安っぽいハムの色と味とにおいがちょっとだけよみがえってくる。そして、また炒飯が食べたくなってくる。
そんな父が今朝、逝った。もうあの炒飯は食べられない。




すいません、最後の一行はウソです。なんか書いてるうちに、そういう話にでもならなきゃおさまりがつかないような気がしてきたもんで。



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