はなだね

皆さんは、「はなだね」という言葉をご存知だろうか? 食通の方か博識の方でないとご存知ないかもしれないが、これは、天ぷら屋が、「その日開店して、最初に揚げるタネ」のことである。それを特に指す言葉が存在することからもわかるように、これは食通の間では垂涎の的となっている。なにしろ、「はなだね」にありつけるのはその日最初の客のみなのだ。一日限定一食、いや、一日限定一品なのである。その価値がわかろうというものだ。
池波正太郎の『東京 味・彩 十二月』から、「はなだね」に関する記述を、やや長くなるが引用してみよう。

「ところで私は、『はなだね』という言葉を、ながらく誤って理解していた。『はなだね』の『はな』とは、『華』と書くものであると思い込んでいたのである。以前、そのように随筆に書いて、ある博識の読者から、「『端種』と書くのが正しい」とお叱りを受けたことがある。なるほど、言われてみれば『初っ端』の『端』である。
理屈で考えればそのとおりだが、しかし私には『華種』と書きたいように思われるのである。それぐらい、『はなだね』には華やかであざやかな味わいがあるのだ。(中略)ともあれ、そんな間違いをやらかした私はまだまだ、こと天ぷらに関しては、『端種』ならぬ『洟垂れ』小僧であった」

かつて東京は芝に、天ぷらの老舗「かゞ美」があった(会社員の頃、芝に住んでいたのでその跡地を探してみたが、現在はスターバックスコーヒーになっていた)。創業は江戸の末期、東京オリンピックの直前に惜しまれつつ店を畳むまで、永井荷風梅原龍三郎三遊亭圓朝ら多くの著名人に愛された江戸前の名店だったという。
この店をこよなく愛したのが、東条英機であった。彼は太平洋戦争開戦の前日、密かに「かゞ美」を開店と同時に訪れ、「はなだね」を好物の穴子でしたためた。東条は店主にこう語ったという。
「これから、日本は未曾有の、多端にして艱難のときを迎えることになる。私にできることは、天子様を、そして、この大日本帝国を命を賭してお守りすることのみである。もしも私が、再びこの店に来られるときがあったら、『はなだね』の穴子は私のために取っておいてもらいたい」。
そう言うと、東条は微笑して勘定を済まし、店を後にした。そして彼は、二度と「かゞ美」の暖簾をくぐることはなかった。
店主は、戦争中に生まれた双子の息子に、「英機」から一文字ずつ取って「英征(ひでゆき)」と「勝機(まさき)」と名付けたが、勝機は、東京大空襲のさなか、その幼い命を散らしたといわれる。勝機の墓は、東条と同じく雑司ヶ谷霊園にある由(『昭和名店秘史』板垣真一郎)。


※※※


さて私も先日、生まれて初めて「はなだね」を食した。といっても上に書いた食通やら名店の話からぐぐぐぐぐっと卑近になって、「てんや」でである。食事をしようとたまたま「てんや」に入ったら、そこが開店直後で私がその日最初の客になったのである。
私は好物の小えびかき揚げ天丼を「はなだね」でいただいたのだが、なるほど、池波正太郎が誤解した気持ちがよくわかった。ごま油の香りとコク、素材の味わいが、華のように広がっていくのを感じた。くどくない。そして、揚がり具合も軽い。私のような素人でも、すぐその違いに気付くほどだ。
貶めるわけではないが、「てんや」にしてこれである。「かゞ美」のような名店の「はなだね」はどれほどの美味だったのだろうか。私は、食通の文士や悲運の政治家らに思いを馳せながら、天丼を平らげたのだった。
なお、「※※※」より上に書かれている内容は、全くまるっきりの事実無根であり、100%でたらめであることをお断りしておく。「てんや」で食べてたら無制限に広がったただの妄想を書き付けてみただけなのであった。「はなだね」なんて言葉があるかどうか知らない。ていうか、ない。申し訳なかった。



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