帰っていく場所は、どこにもない

 カカシの夏休み (文春文庫) 重松清『カカシの夏休み』。
 重松清の作品は、一昨年のメキシコ旅行のとき、機内で読むものがないと退屈なので成田空港の書店で2冊、文庫を買って以来ハマってしまった。『定年ゴジラ』に感動してエグエグ泣き、横にいたアメリカ人の親子連れに不審な顔をされたのも旅の一つの思い出である。
 『カカシの夏休み』は、中学時代の旧友の突然の死をきっかけに、20年振りに再会した同窓生達が、その20年前にダムの底に沈んでしまった、自分達の「故郷」を訪ねようとする、というストーリーである(いつも思うが自分はあらすじを紹介するのがヘタクソだ)。重松清が一貫して書き続けている、「現代の家族、親子、教育とは?」というテーマが今回も貫かれている。表題作の他、日テレで竹中直人主演でドラマ化され大コケにコケた『ライオン先生』等も収録。
 故郷がダムに沈む日より前に、父親の借金のために夜逃げ同前で村を飛び出したまま音信不通だった「ユミ」。主人公の「カカシ」は、初恋の人である彼女に、旧友から教えてもらったアドレスへメールを打つ。同窓会への誘いのメールである。来るか来ないかわからない彼女に、「カカシ」はこう語りかける。
 「会えなくても、ひとつだけ教えてください。
  きみは、いま、幸せに暮らしているのでしょうか?」
 今まで暮らしてきた中で、私は何人もの人と縁があって出会い、そして何人もの人と、別れてきた。幸いなことに友人と死別したことこそないが、私のせいで、あるいは相手のせいで、あるいは誰のせいでもなくて、不幸な別れ方をした人もいる。そして、そのうちの何人かとは、もう二度と会わないだろう。
 『カカシの夏休み』を読んだとき、様々な事情を抱え、私の前から、自ら姿を消すように別れた人達のことを思い出した。たとえば会社の同期の女性。自分の思い描いていた仕事と現実のギャップの中で苦しみ、心身の調子を崩して2年足らずで退職していった。何人かの同期は彼女と連絡を取ろうとしたが、彼女はメールには返信をよこしても決して自分の近況を語ろうとはしなかった。いま、どこに住んでいるのかも誰も知らない。
 私は彼女に対して特別な感情があったわけではないし、彼女だっておそらくそうだったはずだが、とにかく、もう彼女に会うことはないし会えないだろう。そんな人のことを思い出すとき、私は「カカシ」と同じように訊きたくなる。「きみは、いま、幸せに暮らしているのでしょうか?」、と。
 作品の中で、「ユミ」は「カカシ」に、一文だけのメールを返信する。
 「幸せって、なんですか?」。