昭和のごちそう

先日、松茸ご飯を食べた。輸入ものじゃなくて、丹波かどっか産のいいものを食べれば全然違うのかもしれないけれど、私は松茸といわれてもあまりその有り難味はよく分からない。それなりに美味しくいただいたが、私にとっては単にちょっといい香りのする茸である。珍重して大枚をはたくほどのものではない。奢ってもらえるというのなら別だけど。
と、貧乏人の負け惜しみ丸出しなことを思ってみてふと気が付いたのだが、私が子供の頃(だいたい20年以上前)のギャグ漫画とかお笑い番組のコントとかドラマのシーンでは、秋口になると思い出したようにチョイチョイ、松茸がネタになっていたものだった。もちろん松茸の値段の高さをテーマにしたものである。たいていは、お金がなくて一本ぐらいしか買えないもんだから松茸を紙のように薄っぺらく切って、くしゃみした拍子に松茸がヒラヒラヒラヒラ〜、ってな感じである。♪フガフガフガー!*1
で、昨日はすき焼きを食べた。そこでハタと気が付いたのだが、私が子供の頃のギャグ漫画とかお笑い番組のコントとかドラマのシーンなどでは、思い出したようにチョイチョイ、すき焼きがネタになっていたものだった。もちろん肉をたくさん食うとか食わせないとかをテーマにしたものである。たいていは、野菜や豆腐の間に肉を隠して食うとかそういういじましい手を使ってみて、最後にはケンカになっちゃう、ってな感じである。♪テーテーテーデンデン!*2 そういったネタの背景にあったのは、すき焼きが(そして牛肉が)「高級品」であり「ごちそう」であるというパブリックなコンセンサスである。そういえば、同じような文脈で「ごちそう」の代名詞となっていたのは「ビフテキ」だったりしたものだ。今日びなかなか耳にしませんよ。「ビーフステーキ」じゃないんだぜ、「ビフテキ」だぜ「ビフテキ*3。しかし現在、そのコンセンサスは活きているだろうか? もちろん高級な牛肉のステーキはいまだってごちそうであることに変わりはないが、少なくとも漫画やドラマなどに憧れの対象としては出てこない。「うひょー、ビ、ビフテキー!」なんて台詞、記憶が確かならば私は平成に入ってから聞いたことはない。松茸、すき焼き、ビフテキは「昭和のごちそう」だったのだ、少なくとも漫画やTVなどの中では。
これってどうなんだろう? そんなに「昭和」って貧しかったのかな? そうかもしれない。いや、私が子供の頃にはもうそこまで貧しくはなかったのだろうが、その頃に第一線で活躍していた作家達は貧しい「昭和」を知っていた世代、「すき焼き」や「ビフテキ」がごちそうだった世代のはずだ。彼らの意識の中ではコンセンサスとして「牛肉=ごちそう」という図式があり、その価値観は受け手の世代にも共有されていたのである。
翻っていまはどうだろう。「すき焼き」や「ビフテキ」に当たるような、皆がコンセンサスを得ている「平成のごちそう」とはあるのだろうか? 私が考えるにそれは多分、ない。現在第一線で活躍している作家達は、貧しい「昭和」を知る世代ではなく、その後の「バブル」を知る世代だ。そして、バブル崩壊を経て経済的な事情はバブル当時より悪化したけれども、その前後に食生活・食文化を巡る事情は大きく豊かになっている。以前も書いたがスパゲティひとつとっても、ミートソースやナポリタンしかなかったものが現在はカルボナーラだのペスカトーレだのペペロンチーノだのと花ざかりだ。選択肢の数が圧倒的に増えた、そして価値観も多様になったのだ。「ごちそう」といって思い浮かべるものがせいぜい「松茸」だの「すき焼き」だの「ビフテキ」だのだった時代ではない。それらの数も種類も嗜好も、「昭和」とは比べものにならないほど多いのである。だから、「平成」の我々が共有できる「ごちそう」は多分、ない。
多様な価値観は自由と豊かさ、進歩と発展だけを象徴するのだろうか。我々が共通して依拠できる価値観を失った、ということにはならないだろうか。共有できる価値観の喪失は、「ごちそう」なんていう暢気なものに限ったことではないのだが。



私の「ごちそう」といえば中華料理。円卓が回るアレ。人気blogランキング

*1:ここは『ドリフ大爆笑』のコントのオチの音でお願いしたい。

*2:ここも『ドリフ大爆笑』のコントのオチの音・別ヴァージョンでお願いしたい。

*3:一応書いておきますが「ビーフステーキ」は英語(beef steak)で、「ビフテキ」はフランス語(bifteck)です。「ビーフステーキ略して『ビフテキ』」ではないのですよ。