そして私たちは、今日も何かを飲んで生きていく

先日、某所で「消えた飲み物」の話題になった。ムダに年を食ってくると、こういう懐かし系話で同年代の人と盛り上がれるのが楽しい。その場で話題に出たものは「島と大地の恵み」「キスール」「ポストウォーター」「ジョルトコーラ」「シャッセ」「鉄骨飲料」「熱血飲料」などなど。うわ、懐かしい! と膝を叩いた方もいれば、若い方の中には初めて目にする名前の商品ばかりだという人もいるだろう。誰もが知る大ヒット商品の陰には、このようにウタカタのごとく消えた商品が、数多存在する。
さてその一連の「消えた飲み物」の話の中で、私と同い年のある女性が「アンバサ」という商品の名前を挙げた。
http://www.stij.org/drink/drink2.html#013
http://softdrinks.org/request/req1998.htm
こちらは、それなりに古い商品だが何度か復刻されたり新ヴァージョンで発売されたこともあったので、若い人でもご記憶の方はいるかもしれない。コカ・コーラから出ていた乳酸飲料である。引用したリンク先の説明にもあるが、まさに「カルピスの原液を水で薄めて炭酸を加えた」ような飲み物だった。最初の発売は1981年とある。だからもう、25年も前の商品だ。
実は私には、この「アンバサ」にまつわるとても古い、ある記憶が残っている。それは特に何ということのない記憶で、そしてきれぎれになった断片的なものだ。けれど確かに私の中に、楔を打ったように残って、拭い去れないものとして存在している。
まだ幼稚園に入るかどうか、の頃の話だ。私は弟と、病院の待合室のようなところで所在なげに座っていた。その日は雨が降っていて、ただでさえ明るくないその待合室は、昼間なのに薄暗かった。どんな用事でその病院に来たのかということを、当時の私が理解しているはずもない。ただ何となく、自分たちは決して楽しい用事でこんな場所に来ているわけではないのだ、ということだけは子供なりに理解していた(幼い頃から、そういうことには私は敏感だった)。私たちは待合室で、母親を待っていたのだと思う。どれぐらい待ったか、待った結果どのようにしてそこから帰ったかの記憶はすっぽりと抜け落ちていて、ただ私の手の中に、おそらく母親が買ってくれたのであろう、「アンバサ」の青い缶があったことを覚えている。近頃はあまり見かけなくなった、250mlの細長い缶。ときどき甘酸っぱいそれを飲みながら、私は薄暗い待合室で、泣き出しそうな気持ちをぎゅっと抑えていた。雨は、止む気配がなかった。
これが私の、「アンバサ」に関する記憶である。だから私は「アンバサ」と聞くと、あの日の薄暗い待合室で聞こえていた雨の音を思い出す。
それから20年近く経ったある日。私はふと、何の気なしにそのときの記憶について母親に話してみたことがある。すると母は言葉を飲み、驚いたように言った。「あんなに昔のことを、覚えているの?」
母は、あのとき私たちがいたのは、産婦人科の待合室だったのだと言った。そして、おそらくそのときに、私の弟か妹になるはずの赤ん坊が、この世に生まれ落ちることなく消えていったのだ、とも。雨がゆっくりと降り続く、灰色の午後だった。私は寂しさと不安に抱きしめられながら、「アンバサ」の青い缶を抱きしめていた。すぐそばで悲しい出来事が起きていることも知らずに、いや、薄々気づきながら、その白い飲み物を少しずつ飲んでいた。
飲むことや食べることは、私たちの身を養い、やがて来るべき死の瞬間まで、自分という個体を一日また一日と生き延ばすために繰り返される、切なく本能的な営為である。だから、飲んだり食べたりする記憶は私たちが生きていくことに結びつくし、生きていく記憶は食べたり飲んだりすることに結びつく。ある人の人生には、思い出したくもないほど悲しい記憶に結びついたアクアパッツァがあり、一生ものの幸福な記憶に結びついた「とんがりコーン」があることだろう。そんな断片の寄せ集めによってしか、人生というのは掬い取れないのかもしれない。
死ぬまでに私はあと何回の食事をして、どれだけの飲み物を飲むのだろう。できることなら素敵な記憶とともに、ものを食べ、飲んでいけることを願う。大切なのは何を食べるかではない。誰と、どう食べるかだ。



ちなみに私は今、CO-OPの烏龍茶を飲みながらこれを書いている。人気blogランキング