せんべろ忌

早いもので、もう三回忌ですか。中島らもが亡くなって2年が経ちました。
明日はけっこう早く起きなければいけないのだけれど、バーボンでも飲みながら、作品を読み返しつつ故人を偲ぼうかと思います。
読むのは『獏の食べのこし』獏の食べのこし (集英社文庫)
『愛をひっかけるための釘』愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)
そして『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)
この中の「浪々の身 3」という文が学生の頃から大好きでした。大好き、というより強く心に残って離れませんでした。浪人時代、自ら命を絶った友人のことについて書かれたものです。彼の訃報を聞いた日、当時住んでいた部屋で、夜遅くまでこれを読み返し、酒を呷ったことをまだ覚えています。
長いけれど引用させてください。

あれから十八年が過ぎて、僕たちはちょうど彼が亡くなった歳の倍の年月を生きたことになる。かつてのロック少年たちも今では、喫茶店のおしぼりで耳をふいたりするような「おっさん」になった。そうした軌跡は、かっこうの悪いこと、みっともないことの連続で、それに比べて十八で死んでしまった彼のイメージは、いつまでも十八のすがすがしい少年のままである。自分だけすっぽり夭折するとはずるいやつだ、と僕は思う。薄汚れたこの世界に住み暮らして、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。
ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。

悲しくてたまらなかったり、自分が死ぬほどみじめに思えたり、辛くてぺしゃんこになりそうな夜に、ときどきこの文を噛みしめています。




この文をモチーフにしたのがスキップカウズの『三日のために』。人気blogランキング